渋谷ではやはり「若者のメッカ」に注目したテーマも少なくない。専修大学商学部で「ブランドマーケティング」専攻ゼミの古賀さんは「ティーン・スタディ2002」というテーマに取り組んだ。「ティーン・スタディ2002」というタイトルは、大手広告代理店の博報堂が、ティーンの消費・メディア・生活行動・意識を調査したレポート「ティーン・スタディ2000」「同2001」からの命名。古賀さんなりの観点で若者マーケットを探った。卒論制作に際しては10代の若者64人へのヒアリングを行い、結果を論文に反映させている。
古賀さんの卒論は渋谷そのものをテーマにしたものではないが、例えばファッションブランドにおける市場調査では、「ヒステリックグラマー」「バーバリー・ブラックレーベル」「オリーブ・デ・オリーブ」など、いずれもフラッグシップストアを「神宮前6丁目」エリアに出店するブランドの人気が高い結果となり、渋谷とリンクした内容も含まれている。古賀さん自身はそれほど渋谷にアクセスする回数は多くないが「渋谷の地域通貨「r」の動きは関心を抱いている」とのことで、渋谷は「いろいろな文化を持った街」だと話してくれた。
「渋谷」をテーマにした卒論同様に興味深いのが、地元、青山学院大学経営学部の井口典夫ゼミ3・4年生による「論文集」。同ゼミのテーマは「交通とまちづくり」で、今年1月20日に提出された論文23本のうち、「渋谷」周辺に関するものは以下の4本だった。「因子分析」や「仮想市場法」などの科学的・客観的な手法によって、実際の渋谷のデータを解析しているため、説得力の高い点が同ゼミ論文の特徴。
NPO「渋谷・青山まちづくり研究会」の事務局でもある井口研究室では、普段から渋谷のケーススタディに取り組んでいる。神宮前に生まれ育ち、現在もそこに暮らす井口教授自身も渋谷の街づくりには深い関心を寄せている。教授による最近の企画として今年1月18日、青山学院大学でシンポジウム「国際都市としての渋谷・原宿・青山の将来像」(同大主催、東京都・渋谷区・港区等後援)が開催された。伊藤滋・東大名誉教授による基調講演のほか、浜野安宏氏や岡本敏子氏らによるパネルディスカッションも行われ、250人の会場には1,000人もの観客が押し寄せ、関心の高さを伺わせた。「日本経済を回復させるためには、東京を魅力あるものにしなくてはならない。そのためには、文化的に誇れる地区、即ち渋谷・原宿・青山を大切に育てて行く必要がある」(井口教授)という。
井口教授は「渋谷界隈は本当に面白い」と話す。賑わいと同時にそこに住む人がいて、“住む・働く・遊ぶ”といった要素が一通り含まれている」と語る。ゼミに渋谷をテーマにした論文が提出される背景には「大学が渋谷にある」という物理的な要因に加え、専攻分野に依るところも大きい。「社会調査技法を教える際に、様々な機能がコンパクトにおさまっている渋谷は格好のケーススタディ地区」(井口教授)と捉えている。論文の作成に際して、学生には「例えば渋谷に何が必要なのかを具体的に考えて取り組むと良い」と伝えたという。そして提出されたのが、前出の4本のゼミ論文だった。
「仮想市場法に基づく青山通り歩道橋撤去の費用対効果分析」(3年生)では、「歩道橋など公共施設の場合、価値を具体的な金額として算定するのが困難であることから、街中の人の満足度を金銭タームに変換できる仮想市場法を援用し、街づくりの費用対効果を分析した」(井口教授)。一方「渋谷駅に求められる機能の検証~青山の丘からのアプローチ」(4年生、卒論)では、渋谷駅東口を出た多くの人が山手線内側である原宿・青山方面に向かって歩き出すことに触れ、青山方面から渋谷駅を捉える周辺からのアプローチが必要だとしている。「山手線の内側である原宿・青山には、教育・ファッション・芸術など文化的な香りを求める人が多く集まる。即ち独自の文化圏が形成されているので、渋谷が山手線の線路によって東西分断されていることは、本質的に良いこと」(井口教授)と主張するもの。
また、感覚で論じるのでなく、実際のデータを客観的な手法を駆使して分析し、論旨を展開するのが同ゼミの真骨頂。「渋谷駅を基点に考えたらダメ。駅は目的地でなく、目的地は駅の外側に広がっているのだから。そうした認識の下で、データを客観的に分析するよう指導している」(井口教授)という。駅がメガパワーを持っていないためにバランスが取れているのが渋谷。相対的に路面店のパワーに注目が集まることも、渋谷の面白さを演出している。井口教授は駅に“一極集中化”しない街づくりに触れ、「駅中心部をフラットにして周辺の景観がよく見え、かつ空が大きく目に入るようにすることが重要」と話す。今春3月には、井口教授の論文「因子分析に基づく商店街の将来コンセプト」が発表されるほか、新たに研究成果を公開するためのイベントを計画中とのことである。
青山学院大学 渋谷・青山まちづくり研究会東京大学教養学部(世田谷区・駒場)では昨年、全学自由研究ゼミナールの一環として「都市と交通をどう創るか-渋谷改造計画」が開講された。2007年度に予定されている営団13号線の乗り入れ、さらに2012年度に予定されている東急東横線の地下化と営団13号線との相互直通運転の開始により、大規模な改造計画が必要とされる「渋谷駅」周辺の改造計画の立案を演習形式で取り組むもの。全8回の演習では、渋谷区「まちづくり課」や新宿駅南口地区基盤整備事業等の見学も含まれていた。
講義では、「渋谷駅周辺整備ガイドプラン21」検討委員会副委員長を務める同大工学部の家田仁教授が「きみたちの渋谷をどうするか」と題して渋谷駅周辺の抜本的再生プロジェクトの講義を行い、その後の演習で渋谷の街のにぎわいや商業の方向性、歩行者の扱い、土地利用、自動車の扱いの4点から議論が交わされ、「現状肯定派」「否定派」「地下活用推進派」など様々な考え方が披露された。
また、同ゼミでもゼミ論文が提出されている。「渋谷の地下開発の必要性と許容性」と題した論文ではハチ公前のスクランブル交差点の地下化が提案されている。ユニークなのは、地下化されるのは「車道」の方でで、歩行者が歩く地上のスクランブル交差点はそのまま保存される。地下の車道部も地上部から採光するなどのアイデアも盛り込んだ断面図も添付され、既成の枠組みに縛られない発想が面白い。
「宮下公園改革案」をテーマにした論文も提出された。これは、宮下公園自体をすべて2階レベルに配し、1階をモール形式の商店街にする構想。現在1階にある駐車場は地下に移動させる。渋谷ではやはり「ハチ公前交差点の混雑解消」「地下空間の有効活用」「宮下公園の有効活用」などに注目したテーマが多くなっている。
さらにユニークな提案として、渋谷の街の中に「路面電車」を走らせようという論文があった。都電のように他の街とのリンクは行わず、渋谷周辺エリアだけのミニ路面電車構想。論文には「想定路線図」も添付されており、東急本店やシブヤ西武などを結ぶ「百貨店連絡線」の他、「センター街線」「NHK代々木競技場線」などが想定されおり、神南方面と東急ハンズ方面を結ぶ「オルガン坂線」は、道幅を考慮してモノレール構想となっている。構想実現の可否はともかく、渋谷駅周辺の渋滞解消を目的とする「パーク・アンド・ライド」の考え方には一理ありそうだ。
東京大学教養学部「都市と交通をどう創るか 渋谷改造計画」慶応義塾大学システムデザイン工学科、隈研吾研究室の石澤さんも、渋谷駅周辺の再開発をテーマに、自由な発想で提案を行っている。
テーマは「現東急東横線の地下化に伴う渋谷~代官山間の再開発計画」。2012年度に予定されている都営13号線と東急東横線の相互直通運転に伴い「渋谷駅」は地下化するため、現「渋谷駅」および渋谷~代官山間の東急線高架は用途がなくなる。そこで石澤さんは、廃止される渋谷駅~代官山間の高架を使って「歩行者デッキ」にコンバージョン(転用)することを提案している。緑化し歩行者デッキに用途転換された高架は、渋谷川再生、現在の宮下公園とも接続され、渋谷駅周辺の「南北軸」を結ぶ「グリーンパッセージ」を形成、これにより原宿~代官山への大きな流れが生まれ、渋谷の街に大きなポテンシャルを生み出すという内容。東急「渋谷駅」の跡地利用に際しては高度化の議論も進む中、宮下公園をも取り込む大胆な発想に着目したい。最近の広域渋谷圏では、路面店などの活性化により、原宿~渋谷~代官山はすでに徒歩で移動する商圏として連携しているのが実情。これを踏まえると、東急東横線の高架と宮下公園を緑地帯で結ぶアイデアは、渋谷駅周辺の整備計画のあり方にも一石を投じる提案として注目したい。
石澤さんは、普段から渋谷に行く機会も多く、クラブでVJ(ビデオジョッキー)なども手がけており、やはり「馴染みのある街だからこそ、リアリティをもって想像力がかきたてられた」結果を卒論にまとめあげた。
都内S女子大学の高島さんは「メンタルマップ」を使ったフィールドアプローチにより、渋谷をテーマにした卒論に取り組んだ。テーマ名は「渋谷人(しぶやじん)」。4年生になった昨年5月、テーマが浮かんでいなかった高島さんが担当教授との雑談の中で飛び出した「渋谷に週7日行っています」という言葉からテーマが決定した。高島さんはデジカメで街の光景を大量に撮影し、論文作成を進めていった。卒論は800字×約100ページ。
第1章では過去から現在に至る渋谷の街の変遷を振り返り、第2章で「メンタルマップ」と呼ばれる調査手法を用いて、渋谷の街のイメージを浮き彫りにしている。「メンタルマップ」とは、新聞紙大の大きさに自由に街のイメージを描いてもらい、描かれた要素から街に対するイメージを紐解く手法で、高島さんは、渋谷をフィールドにしている10名の対象者ひとりひとりに渋谷のカフェなどで描いてもらった。「メンタルマップ」では、「広告だらけの渋谷であるにもかかわらず、広告の要素がほとんど描かれなかった」点が特徴だという。さらに渋谷駅を起点に描かれる範囲は「246」「明治通り」「電力館」「NHK放送センター」「東急ハンズ」に囲まれた部分であることもほぼ共通していたことのひとつ。面白かったのは、男性は総じて「道を描く」ことにこだわりを見せるのに対し、女性は「お店の場所」を中心に描く傾向に別れたこと。まさにベストセラー「話を聞かない男、地図の読めない女」に通じるのかもしれい。もともと街角ウォッチングが大好きで渋谷の街を観察していた高島さんは「1冊の本を作る」感覚で取り組んだ卒論制作は「楽しかった」と感想を語ってくれた。
文化が成熟しどの街も画一的な発展を遂げる中、渋谷の街は、変化の早さやコンテンツの充実さなどの点で他のエリアとの差別化を図ってきた。昨年より開講された國學院大學の「渋谷学」や多摩大学の「渋谷都市論」など、人気の高まる「都市学」でも渋谷の人気は高い。
東急、西武などの大手資本の牽引力が一段落し、都心回帰で商業エリアと住宅エリアが隣接あるいは混在する広域渋谷圏では今後、まちづくりに際して様々なディスカッションが繰り広げられる。ある意味では「オトナ」のスキームで展開される都市開発のあり方を客観的な視点で捉え、学生ならでは自由な発想で提案ができる場を提供したり、実現の可否はともかく、そうした提案に耳を傾けられるオトナの余裕が求められる。