「ネイルケア」「ネイルアート」などネイル関連のビジネスの発祥地は、アメリカの映画の聖地ハリウッド。誕生したのは、1970年代後半だとされている。その起源は、女優の指先を美しく見せるために、メークアップアーティストが工夫した特殊メーク。映画の撮影は長期に及び、しかも撮影の場所や時間は異なる。しかし、作品が完成した際にはシーンとしてつながっていなければならないため、指先もヘア・メーク同様、たえず均一の状態に保っておく必要があった。特に爪を伸ばしている女優の場合、長期の撮影中に爪が折れたり、欠けたりすることは頻繁に起りうる。その場合、爪を修理(リペア)する一方、爪を再生するための特殊メークのひとつとして、メークアップアーティストが女優専用の「つけ爪」を制作したのがスカルプチュア(アクリルパウダーとリキッドを使って人工的に爪を作ること)やチップ(人工爪)の始まりである。さらに繊細な手の演技や指先の表情を求められる女優の場合、血の気がなく、不健康な爪は致命的。そこで、女優の爪を健康的に見せるために爪に赤いエナメルを塗るなど、指先を美しく見せるための様々な工夫がほどこされる。それらの技術はネイルケア(甘皮処理、爪のケアなど)、ネイルリペア(割れたり、かけたりした爪を修理すること)、スカルプチュア、チップ、ネイルアート(爪の上にアートを施すことの総称)など、様々な技法やメニューとして展開され、すぐさまアメリカ全土に広がっていく。
1980年初頭のアメリカでは「1ブロックに1店、ネイルサロンが開店していた」とまで言われている。これがアメリカにおける「第1次ネイル・ブーム」と呼ばれる時期。1980年代当時、日本ではまだ「ネイルアート」は認知されていなかった。しかし、爪に様々なカラーを塗ってテレビに登場した人物がいた。沢田研二である。1980年、「TOKIO」の大ヒットでパラシュートを背負って登場した沢田は、次作の「恋のバッド・チューニング」(発売1980年)で眼にカラーコンタクト、指にネイルアートをほどこし、歌番組に登場。仕掛けたのは日本を代表するアートディレクターの浅葉克巳。しかし、スタイリストやアート関連、メークなど最先端の業界では注目を集めたものの、一般に普及するには至らず、米国の「第1次ネイル・ブーム」は日本に上陸しなかった。ちなみに沢田研ニが“男性ネイラー”の第1号であることは芸能史にも刻まれている。
1985年、アメリカでのブームを受けて、日本のネイルビジネスの健全な普及・発展を目指し「日本ネイリスト協会」(本部:千代田区)が創設される。すでに国内で活躍するネイル専門のアーティストはいたが、現在、一般的に使われている「ネイリスト」という名称が誕生したのも同年。同協会によると、「NAILIST(ネイリスト)」とは英語ではなく、協会設立に伴って考案した造語であるという。英語圏では指の爪専門の美容師を「マニキュアリスト」と表現する。アメリカで「第2次ネイル・ブーム」が起ったのは1988年。「ソウルオリンピック」の女子陸上に登場し、100メートルと200メートルの短距離2冠を制したフローレンス・ジョイナーが長い爪にネイルアート姿をほどこして走ったことで、日本でも女性の間で注目を集める。アメリカではワーキング・ウーマンの間できちんと指先まで手入れをしなければいけないという認識が広がった。しかし、モード大国のヨーロッパやバブル後期の日本では、まだ大ブレイクには至らなかった。日本で「ネイル」に注目が集まるのは1998年まで待たなければならなかった。
日本ネイリスト協会「ネイル」がブレイクする伏線は1990年代半ばから始まる。1980年代に渡米し、最先端の特殊メークやネイルの技術を習得した若手アーティストが帰国。CMや雑誌、スクールやサロンなどで活躍しはじめた頃と合致する。ネイリストとメークアップアーティストを養成するスクール「木下ユミ・メークアップ&ネイルアトリエ」を運営するほか、スクールのコンサルティング、ネイルやメークアップグッズの販売、直営サロンの展開など、「ネイル」と「メークアップ」を基盤に据えて、幅広くビジネスを営んでいる「ユミ・クリエイション」(本社:神宮前)代表で、スクールの副校長を務める木下さんもその一人。木下さんはアメリカでネイルと特殊メークの技術を学び、帰国後、ヘア・メークアーティスト、ネイリスト、さらに仕事の幅を広げ、トータルビューティーコーディネーターとして活躍。1996年11月、初のネイル本「ネイルパーフェクトマニュアル」(三元社刊)を出版する。
木下さんはネイル・ブームの予兆として「当時は世紀末に向かってモードの熱が高まっていった時期。ストイックなシルバーアクセサリーに注目が集まったのもその頃」と振り返る。当時「シャネル」が発売したネイルカラーが時代の気分を捉える。特に世紀末の空気感を反映した血豆色の「NO.18ヴァンブルネイル」(1997年発売、現在は廃番)のビジュアル先行の広告展開が功を奏し、ヨーロッパ発のネイルがアメリカに飛び火、日本でも大ヒットする。ここで初めて世界的な「第3次ネイル・ブーム」の地盤が整う。「しかし、爪を手入れする習慣がなかった日本ではサロンが急増する前に、百貨店にカウンタースタイルのネイルコーナーが登場。化粧品メーカーがアンテナショップ的に、ネイル・ブームの下地となるハンドケアを開始した。こういった地道な普及活動や小さなサロン、スクールの活動などが本格的なブームの引き金になった」(木下さん)。つまり、ネイルがブレイクする前に「ハンドケア」の概念を啓蒙する期間が並行していたことになる。爪にきれいにカラーを塗るには、ケアをしている爪とケアを怠っている爪とで大きな差が現れ、指先の美しさが変わる。サロンはこういった啓蒙活動からスタートした。
ユミ・クリエイション1996年6月にワーキング・ウーマンのためのネイルサロン「ネイル・クイック表参道店」を開店した「ザ・クイック」(本社:北青山)代表の坂野さんは「当時、ネイルは一部の水商売の女性が利用していたが、OLには浸透していなかった。そこでワーキング・ウーマンのための、ストレスマネジメントに重点を置いた店づくりを考えた」と、開店の動機を語る。坂野さんは1988年、ニューヨークのコロンビア大学のビジネススクールMBAを修得。外資系コンサルティング会社勤務後、「キャリア戦略研究所」を起業。次に新規事業として美容の分野に着目して設立したのがサロン運営会社「ザ・クイック」。「ニューヨークではネイル7ドルという店舗があり、リーズナブルな価格設定の店が日本でも求められていると直感した。ストレスの多い現代人にオアシスを提供したい」と坂野さん。同社は現在、全国で「ネイル・クイック」13店舗を展開。ハンドコース2,800円、ネイルケア1,800円、カラーリング10本1,200円ほか。
ネイル・クイック同じ頃、ネイルの専門誌が創刊。1997年に創刊されたのが「インフォレスト」(本社:新宿区)が発刊する「ネイルMAX」。発行部数は公称10万部。すでにネイル専門誌の老舗である。同誌編集長の江戸さんは「ネイル・ブームが到来することを予測して創刊した。ブームになる前に創刊したという意味合いでは、ネイル業界の活性化に寄与しているだろう」と話す。同誌では国内のサロンリストを掲載し、業界のバックアップに努めている。
インフォレスト一方、強烈なブームになるには何らかの“象徴”が必須条件。10代後半~20代前半の女性に絶大な影響力を及ぼす浜崎あゆみは、1998年秋頃からCDジャケットや雑誌で自身のネイルアートを披露しはじめる。渋谷に集う「あゆ信者」は、彼女がCDジャケットや雑誌などで披露するネイルに逸早く反応した。「迷彩柄ネイル」が渋谷でブームになったのは記憶に新しい。浜崎がネイルに凝り始めたのは、1998年9月から浜崎の専属ネイルアーティストになった三浦加納子の存在が大きい。浜崎がブレイクしたと同時に「ネイリスト」にもスポットが当たることになる。前述のネイル専門誌「ネイルMAX」の創刊に加え、新たなヒット表品を求めていた女性雑誌、美容業界もネイルに注目。この時期にネイルに関する大量の情報が発信されるようになり、並行してサロンがオープンする。一部の化粧品会社は低価格のネイルカラーをコンビニ経由で販売するなど、明らかに女子高校生を意識した戦略を実施。「ネイラー」の底辺が広がり、抵抗感がなくなっていったことで、こうして世界的な「第3次ネイル・ブーム」を経た1998年~2000年に「ネイル」は一気にブレイクしたのである。「ザ・クイック」代表の坂野さんは当時のブームの流れを2つに大別する。
渋谷区はもとより、国内で最も歴史のあるネイル・スクールが西原の「NSJネイルアカデミー」。1989年に開校、すでに卒業生1,000名を誇る。同校の山本さんによると、スクール経営は「近年、ずっと右肩上がり。生徒数も増えている」という。同校で生徒数が増加したのが2000年。「ネイル」が認知され、ブームになった時期と合致する。「逸早くネイルアートを始めた、ファッションリーダーの浜崎あゆみの活躍と、それを追い風にしてどんどん出店したサロンの影響が大きい」と、山本さんは2000年に生徒数がぐんと増えた要因を分析する。
NSJネイルアカデミー2000年にネイル・スクールの生徒数が急増した背景には、ブームの影響もあるが、ネイルが一般に普及したことでOLから「ネイルアーティスト」に“キャリアチェンジ”を試みた女性が数多くいたことも無視できない。「ネイルは女性なら誰もが入りやすいジャンル。しかし、すぐに一人前になれる業界ではないので、本気でない女性は再び織を探すことになった」(業界関係者)という現象も起きている。また、美容師がネイルアーティストに移行するケースも見受けられる。
一方、出店スピードの速さ、細分化、個人事業としてスタートしやすいことから「ネイルマーケット」の規模は把握できないのが現状。18年前に命名された「ネイリスト」は、今日、花形カタカナ職業として誰もが知る仕事になっているが、「日本ネイリスト協会」では「ネイリストの数は把握できていない。ネイルサロンは関東圏で1,000~1,500店ほどあるが、都内の店数はどんどん増えているので、こちらも正確な数字は把握し切れていない。また、ネイルマーケットの規模も物販を含むと、計りきれないほど拡大している」と説明する。渋谷にはネイル・スクールも集中している。個人で開講しているものを含むと30校ほどあるとされているが、サロン同様、正確な件数は不明。
ネイル関連のサービスは幅広い。業態を分類すると(1)ネイル専門店 (2)専門店以外 に大別され、後者には美容院、エステサロン、複合店、自宅で開業する個人事業、店舗を持たない出張ネイリルサービスなどがあり、多岐に渡る。さらに(1)も細分化し、ネイルケア中心のサロン、カラーリング中心のサロンなど専門化の傾向も見受けられる。
「トレンダーズ」(東)が提供する「Every Nail」は2001年8月にサービスを開始した、業界でも数少ないネイリスト出張サービス。プロのネイリストが自宅やショップ、イベント会場へ出向いてサービスを行うもので、新たなサービス業として注目を集めている。出張エリアは都内及び都内近郊。個人と法人、両方のオーダーが可能。個人なら1ヶ月4時間15,000円(出張料2回分込み)~。法人での申し込みは初期登録料30,000円を支払い、2コースを選択。「スタンダードコース(ネイルサロン勤務歴1年程度、同等レベル)」3時間以上3,000円/1H、2時間3,500円/1H、1時間4,000円。「スペシャルコース(ネイルサロン勤務歴3年程度、同等レベル)」3時間以上3,500円/1H、2時間4,000円/1H、1時間4,500円。同社では約100名のプロのネイリストと契約をしている。
「Every Nail」担当の大橋さんは「ネイルケアは好きだが、サロンに通う時間がないという女性は多い。そこで、こちらからプロのネイリストが出かけていく出張サービスを始めた」と、事業化のきっかけを話す。同社では当初、個人の需要が多いと予測していたが、「意外に法人の需要が多い。イベント会場や、ジュエリーショップ、自動車販売店などのショップが女性の集客を計るためにネイリストの出張を依頼してくるケースが多い」(大橋さん)。女性客の集客に“ネイル”が一役買っていることがわかる。一方、個人ユーザーの傾向としては「ネイルサロン激戦区の渋谷でも、特にリッチな顧客が多く、料金にすると月に20,000~40,000円ほど利用される方が多い」という。
Every Nailヘア&メーク、エステ、ネイルを一店舖でフォローする複合店も開店している。2002年6月、松濤に誕生した「スターガーデン」は、“真の美しさは、カラダのパーツ素材の「健康美」”を提唱し、ヘア、ネイルケア、メーク、デンタルクリニック、リラクゼーションといった「ビューティー」サービスをトータルにサポートする3階建ての施設。3階フロアはヘア、メーク、ネイルのトータルビューティサロン。
スターガーデン渋谷周辺のネイルサロンでは、男性の利用客も見受けられるようになった。傾向としては(1)エクゼクティブのハンドケアの延長 (2)裏原宿を中心に展開するストリート・ファッションとの連動 が挙げられる。「ザ・クイック」代表の坂野さんは「男性客は1%ほどだが、カップルで来店する方も多い。今後は男性客の需要は増えるだろう」と語る。男性客の年代は20代~50代。年配者はエクゼクティブが多く、「手先まできれいに整えておきたいという男性がほとんど」である。料金は2,800円。時間は30分。「ファッションの側面もあるが、男性にも癒されたいという思いが強いようだ。触れられることで人間的な安堵感を感じているのでは」(坂野さん)と分析する。一方、前述した「Every Nail」では、「外国人のエクゼクティブが宿泊ホテルを通じてオーダーをしてくるケースが目立つ。国際的に活躍する彼らは手先も重要な身だしなみであることを熟知しているようだ」(大橋さん)と分析する。ビジネスでは友好の証として握手を求める慣習のある外国人らしい配慮といえよう。
一方、若い男性を中心に定着しつつあるのが黒いマニュキュ。DA PUMPボーカルのISSA(辺本名一茶)、T.M.Revolution西川貴教、俳優の永瀬正敏などが黒いマニュキュをつけた有名人として知られている。永瀬は昨年テレビでオンエアされた「私立探偵濱マイク」にも黒いマニュキュアを塗って出演。黒いマニュキュアは永瀬が指にしていたシルバーのリングとの相性が良く、「リング+マニキュア」は若い男性に認知されていく。もともと黒いマニキュアはタトゥーやエアブラシ同様、アメリカ経由のカルチャーとして上陸したとされている。トレンドに敏感な裏原宿系の若者の間に浸透し、広がったようだ。男性で忘れてならないのが、サッカー・ワールドカップ(W杯)で来日し、ベッカム旋風を巻き起こしたイングランド代表のベッカム選手。2002年7月、ベッカムは夫人のビクトリアと同じ色のピンクのマニキュアを塗って人前に登場した。地元のタブロイド紙でこのマニキュアを塗った爪が紹介されると、化粧品を扱う小売店に男性からの問い合わせが相次いだほか、ロンドン市内では「ベッカム・コーナー」を設け、男性用マニキュアの流行を狙う動きが起ったという。また「ベッカム・コーナー」を設けた店では、慣れない男性のために店頭で爪の手入れからマニキュアまでのフルコースを12ポンド(約2,200円)で提供し始めた。ベッカムは今日では、世界で最も有名なファッションリーダー。大きな影響力を与えている。
こういったトレンドに応えるように、大手化粧品メーカーでは男性エステシリーズが続々発売されている。すでにヘアカラーや眉毛キットは女性だけのアイテムではなくなっている。ネイルのようにトライしやすいジャンルは特に動きが早く、「いずれ男性専門のネイルサロンが渋谷にできるだろう」と語る関係者も多い。同時に男性のネイリストもすでに登場している。「木下ユミ・メークアップ&ネイルアトリエ」でも現在、4名の男性が受講しているという。
「ネイルに敏感な人が集まりやすいのが渋谷」と「ユミ・クリエイション」代表の木下さんは指摘する。「小さなサロン、美容の複合ショップ、最先端のファッションビル、そしてスクールなど、これほど充実していて、かつショッピングのしやすい街はほかにない。情報が集まる街に人は集まる。ネイルの最新情報も渋谷から発信できる」。また、「ザ・クイック」代表の坂野さんは「渋谷がトレンドの先端にあることは確か。銀座のサロンではフレンチが主流だが、渋谷ではラメ入りのクリアネイルが流行っている。また、ストーンや3Dのように立体的なネイルアート、星や雪の結晶などをモチーフにしたネイルアートが流行っている。やはりアパレル系などカジュアルな仕事に就いている女性が多いからでは」と語る。さらに今後の傾向として「ネイルアートに流れるより、ネイルケアに主軸を置いた方ががネイル業界としては安定するのでは」と示唆する。
「日本ネイリスト協会」ではサロンの増大とともにネイリストを養成するスクールにもふれ、「多くのスクールが渋谷に集中している。ただし、生徒を集められるスクールと集められないスクール間の格差が開いているのが現状」と語る。また、「ネイルMAX」編集長の江戸さんによると、「都内のネイルサロンは約300店。銀座と渋谷に多く集まるという傾向がある」と語る。
日本では、ネイルケアビジネスの歴史はまだ浅い。ファッション、メーク、ボディケアの延長線上にありながら、個性を表現できるネイルに注目が集まったのは1990年代後半から。美容業界、エステ業界、化粧品業界、ファッション業界、マッサージに代表されるリラクゼーション業界などが一様に「ネイル」に注目した。「ネイル」と接点を持つ各業界が、一気に手先に熱い視線を注いだ。比較的リーズナブルなプライスで個性化を図りたい女性たちが、気軽な感覚で「ネイルサロン」を訪れるようになりマーケットは拡大した。渋谷に集積する「ネイル」関連企業やショップは、熾烈な戦いを続けながら拡大するマーケットに対応、「癒し」「低価格」「コンビニ感覚」「トータルビューティ」「出張サービス」「アートの技術とクリエイティブ能力」「細かなケア」「高級志向」など、各社・各店とも差別化に磨きをかけている。
渋谷は「ネイルアート」の分野で先行するエリアとなった。背景のひとつに「浜崎あゆみ信者」が渋谷に多く集まることもあるが「おこづかいの少ない女子高生は頻繁にネイルを塗り替えられないので、“渋め”のアートに落ち着きつつある」という声も聞かれる。「第3次ネイルブーム」を経て、安定期に入ったかに見えるネイル業界だが、渋谷で展開される「ネイルマーケット」は細分化と複合化が同時に時進行している。既存の女性客に対してはいかに固定化を図るかが課題となる一方、業界は巨大な潜在マーケットとなっている男性利用客の開拓にも注目している。今はまだ少ない男性マーケットも、シルバーアクセサリーのように“火がつく日”がやってくるのだろうか?