8月4日に発売された「SUPER EUROBEAT VOL.150」を担当するエイベックスの高野さんに、ユーロビート・ブームと関係の深いパラパラ・ブームの歴史について話を聞いた。「パラパラが初めて誕生したのは、第1次ユーロビート・ブームの1986~1989年頃」と高野さん。当時は、大人たちの社交場であったディスコでユーロビートが連日ヘビーオンエアされ、「ワンレン・ボディコン・ユーロビート」が定番スタイルとなった時代。パラパラの原点は、85年の洋楽ヒット曲であるアーハの「テイク・オン・ミー」で、この曲のイントロを「パラパラッパ、パッパッパパラララ」と歌いながら同じダンスを踊るのがディスコの客にウケて「パラパラ」が誕生した。当時は一部のディスコ店員が「パラパラ」と呼んでいた以外には、まだ一般に浸透していなかったという。
その後、「ジュリアナ東京」の出現によりテクノ・サウンドがディスコを席捲し、ユーロビートは一端影を潜めるが、1994年8月のジュリアナ東京閉店を機に、1994~1995年に第2次ユーロビート・ブームが到来。「第2次は、安室奈美恵やMAXなどの日本人アーティストによるユーロビート・ナンバーもヒットした時代。当社でも初のパラパラ教則ビデオ『パラパラ経典』を発売した」と高野さんは当時を振り返る。第2次ブームの特徴は、各ディスコの店員が集客のためにパラパラの振り付けを考え、お店単位でビデオを出していた点にあり、高野さんは「同じ曲でも店によって振り付けが違うため、A店の振り付けをB店で踊るとひんしゅくをかうようなこともあったようだ」と言う。
第2次ブームまではディスコやクラブといった限られた空間で流行していた「パラパラ」が、屋外へ飛び出し、爆発的な人気を得たのが1999~2000年の第3次ブーム。当時の時代的象徴であった「ガングロギャル」を中心に、渋谷からパラパラ・ブームが発足。公園や街中、電車の中、学校の廊下などあらゆる場所でパラパラを踊る若者が出現した。「それまでは大学生などの20代を中心に流行していたパラパラが、ギャル系の10代を中心に再燃したのが第3次の特徴だ」と高野さんは語る。10代は年齢制限のため、ディスコやクラブなどへ入れないことから、パラパラをする場所が屋内から屋外へ移り、ファッションも「水着にパレオ」のスタイルが主流となる。第1次の定番スタイルだった「ワンレン・ボディコン・ユーロビート」は、第3次には「ガングロ・パレオ・パラパラ」と変化した。
また、パラパラの第3次ブームの背景には、木村拓哉がテレビ番組「SMAP×SMAP」のコーナーでパラパラを踊ったことや、東京ディズニーランドのパレードでミッキーマウスがパラパラを踊ったことなども関係している。エイベックスとゲーム会社のコナミが業務提携して開発した「パラパラパラダイス」というダンスゲームも登場し、子供から大人まで幅広い世代にパラパラが浸透した。当時の盛況振りについて、高野さんは「99年8月に発売した『SUPER EUROBEAT VOL.100』は、オリコンチャート1位を獲得し、70万枚のセールスを記録。2000年8月に発売のVOL.110もチャート2位で70万枚セールスとヒットが続き、教則ビデオの『パラパラパラダイス』と『パラパラスタジアム』は合わせて40万本売れた」と言う。ちなみに、このセールス記録は、GLAYの幕張20万人ライブビデオや、モーニング娘。のビデオの17万本のセールス記録を大きく上回る。
エイベックスでは今年の夏からパラパラの第4次ブームが訪れると予測しているという。最近、渋谷の路上でパラパラをするギャル系の10代がまた増えてきているからだ。「路上でパラパラをする通称『路(ろ)パラ』で、ギャル系サークルのイベントやパーティのために練習しているようだ」と高野さんは見ている。10代女子を中心とするギャルサーでは、クラブを昼間に借り切ってノンアルコールでイベントを行ったりしているが、その際、大方は「パラパラ・ショー(通称パラショー)」が行なわれる。そこでお立ち台に上って踊ることで目立つのが、彼女達にとって重大な関心事というわけだ。エイベックスでは、『SUPER EUROBEAT VOL.150』の発売を記念して、8月8日には渋谷109の前でイベントを行った。当日は「8月8日はパラパラの日」として「全日本パラパラ選手権」を実施、プロモーション用の教則ビデオを配布した。イベントは全国から募った10代の出場者、計12組が出場し、ダンス・コンテストを行うという内容だったが、「動員客は予想以上に楽しんでくれた」と高野さん。イベントの動員予測は1,000名だったが、配布したビデオは3,000本を数えた。「10代の女子をターゲットに配っていたところ、ちょうど近くのクラブでイベントを行っていた女子高生たちが噂を聞きつけてやって来て、10名ほどの団体でビデオを持って帰る姿もあった」と、高野さんはパラパラ人気の確かな手ごたえを感じている。
これまでのブームと第4次ブームの違いについて高野さんは「ユーロビートだけでなく、テクノによるパラパラ(通称テクパラ)やトランスのパラパラ(トラパラ)など、ジャンルが多岐に渡っている傾向が見られる」という。しかし、テクパラやトラパラは踊りが単調で、振り付けはサビの部分しかないため比較的簡単だそうだ。一方、ユーロビートによるパラパラは動きも複雑で、1曲通しで振り付けがあるため、パラパラのなかでも上級という位置付けになっている。「10代女子は上級のパラパラを踊れることに優越感を抱き、イベントで目立てるというメリットのためにトランスからユーロビートに移行しつつあるようだ」と高野さんは推測する。
ユーロビートとパラパラの歴史を振り返り、エイベックスでは「ユーロビートとパラパラは約5年周期で流行る」という方程式も導き出している。今夏から始まる第4次ブームは、いつまで盛り上がりを見せるのだろうか。
エイベックス スーパーユーロビート 公式ページ業界関係者の間でパラパラの第4次ブームが囁かれているのは、第3次ブームの時に「パラパラの聖地」と言われていた渋谷のクラブ・イベント「9LoveJ(クラブジェイ)」の復活が背景にある。そこでイベント主催者の「DJよっしー」こと吉田さんに話を聞いた。「9LoveJが発足したのは1999年3月で、毎週金曜日のみイベントを行なっていたが、第3次ブームに火がついてからは一晩で1,300人の来客数を記録したこともあった」と吉田さんは語る。「9LoveJ」は当初、渋谷109付近の「アジアンヒート」という飲食店で、金曜の深夜から朝までパラパラ・イベントを行なっていた。当初は客も少なかったが、世の中にパラパラが認知されていくにつれて徐々に人が増え、ピーク時はビルのエレベーターが動かず、ビルの管理者からクレームが入るほどの盛況振りだったという。吉田さんはDJであると共にパラパラの振付師でもあるため、講習会やパラパラ教則ビデオなどで新しい振り付けを広める役割を担い、渋谷の「9LoveJ」はパラパラの情報発信地として広く知られていった。
その後、パラパラの第3次ブームが下火になってきたため、2003年3月にはアジアンヒートでの定期イベントを中止した。それでも月に1回は、渋谷センター街近くのビアホール「アワーズ」に場所を移してイベントを続けていたところ、「今年に入ってから客の動きを見てパラパラブームの再来を感じ、5月から週1回のイベントを復活させた」(吉田さん)という。「9LoveJ」の復活は10代に人気のストリート雑誌「egg」がいち早く取り上げて特集を組み、瞬く間に再び人が集まるようになったそうだ。「復活して初めてビデオを配るイベントを行った日は、全国から若者が集まりオープン前から長蛇の列ができた。150本用意したビデオは20分ではけてしまった」と、吉田さんは語る。「9LoveJ」の客層は10代後半~20代前半が中心だが、18歳、19歳が最も層が厚いそうだ。若者がパラパラにハマる要因については、「その場にいる人が皆同じ振り付けを踊ることによって、うまくいったときの一体感を感じられるのが最高の醍醐味。カラオケと一緒で、自己満足の部分もかなりあると思う」と吉田さんは推測する。盆踊りなどにも見られるように、みんなで同じ動きをする、というのはある意味日本人的な文化だ吉田さんは言う。そんなパラパラの魅力に魅せられた10代が、渋谷の街に多く集まっている。
「9LoveJ」現在高校3年生のミキさん(18歳)は、ギャル系雑誌「ランズキ」や「egg」の読者モデルをしたこともあるというイマドキの女子高生。最近はお姉系のファッションに路線変更したそうだが、パラパラは中学2年のときからハマっているという。「ちょうど第3次ブームとか言われてたときに中2だったので、パラビ(パラパラの教則ビデオ)を買ってよくパラ練(パラパラの練習のこと)した」というミキさん。中学生時代は路パラをしたり、学校で友達と踊ったりしていたというミキさんは、最近ではクラブのイベントなどにも顔を出すようになった。現在は、双子の妹であるユキさんと一緒に、家で窓を鏡代わりにして「パラ練」することが多いそうだ。パラパラの魅力について聞くと、「音がカワイイし、振り付けを覚えられたときはウレシイから」とのこと。初心者でもとっつきやすく、次々に発表される新曲をマスターしていく楽しみもあるため、飽きることなく続けられるということらしい。
パラパラのポイントをミキさんに尋ねると「フリを大きく、動きにはキレを出しつつ、指先をキレイに揃えること」と教えてくれた。パラリスト(パラパラを踊る人)のファッションについては、「露出が基本」とミキさんは言う。「どんなファッションでもその人の自由だけど、ダボダボした服装でパラパラを踊る人はイケてない。踊りやすくて、手が長く見えるように女の子ならキャミソールとかノースリーブがベスト」なのだそうだ。パラパラのジャンルについては「ノリでトラパラもするけど、やっぱ今は『俄然ユーロ!』」とミキさんは言う。ミキさん曰く、「俄然ユーロ」はギャル達から生まれた言葉だそうだが、今ではレコード会社などもキャッチコピーとしてよく使っている。
現在のブームを支えているのは、第3次パラパラブームの頃にローティーンだった若者たちで、現在はハイティーンになりクラブ・イベントなどにも参加できる年齢になったことが背景にある。憧れていたクラブ・シーンへ乗り込むために、自宅だけでなく路上や学校などでパラ練をする10代達が、今夏からのパラパラ第4次ブームを盛り上げる。