2003年4月に出版された「憲法なんて知らないよ―というキミのための『日本の憲法』」の編集を担当した、ホーム社の長澤さんに出版の狙いを聞いた。「現行の日本国憲法は国の土台でありながら、重みをつけるためにわざと堅苦しく難しい表現が使われている。しかし、その内容は子供にも関係していて、小中校生でも読めるものであって欲しい、というのが池澤さんの考えだった」と長澤さんは言う。憲法を扱う書籍は、改憲派・護憲派という思想が出てしまうため解釈の仕方など扱いが難しい。しかし、同書はそうした思想とは無関係に日本国憲法を噛み砕き、新しく訳し直したところが評価されたという。
同書の10代の読者からは「憲法9条でははっきりと戦争をしないと書いてあった。(自衛隊の派遣は)ショックを受けた」といった感想が寄せられた。同書は日本国憲法の全条文を訳しているが、とくに憲法前文と9条に関する反響が多かったそうだ。中には「読んでみて初めて、憲法前文がこんなに美しく理想的な、すばらしいものであることを知った」という感想も。10代だけでなく、今まで憲法に関心のなかった大人たちが読むケースも増えており、自衛隊派遣問題が取り沙汰され始めた頃からじわじわと売り上げを伸ばしていると言う。
4月21日、中高生たちが自分の言葉で書いた憲法前文に曲をつけて収録したCD「『私』であるための憲法前文」が発売された。制作には女優の裕木奈江さんや、「世界がもし100人の村だったら」を手掛けた翻訳家の池田香代子さんも朗読として加わった。企画したのは、漫画原作者・批評家として知られる大塚英志さん。3年前から「自分の言葉で憲法前文を書いてみよう」という呼びかけを始め、10代の若者の作品を中心に1年に1冊のペースで「私たちが書く憲法前文」、「『私』であるための憲法前文」「読む。書く。護る。『憲法前文』のつくり方」(いずれも角川書店)を書籍にまとめてきた。大塚さんに、CD化の経緯を聞いた。「10代が書く『憲法前文』は、いわゆる法律の文体ではなく、詩的なものが多かった。ラップのフレーズのようでもあり、声に出して読んだ時にリズムが聞こえてくる気がした。そこで、メロディーを付けたり、朗読したりしてCD化してみようという話が持ち上がった」。
最初は、広い世代に向けて「自分の言葉で書いた憲法前文」を公募したが、次第に中高生の投稿の比重が大きくなってきたため「10代の若者の言葉を大人たちに伝えていくことが、今の時代に必要なのではないかと考えた」と大塚さん。「10代の彼らは有権者でもないし、社会に対して発言もできない。しかし、憲法前文に記述されている戦争の問題や、『国際社会で日本という国がどう生きていくのか』という問題は、9.11の米国テロ事件から現在のイラク戦争に至るまで、極めて現実的な問題となってきている。そんな今だからこそ、テレビや新聞で大人の言葉だけが一方的に発信されるのではなく、同じこの国に生きる10代の彼らが、戦争とは何か、日本国憲法とは何かということを考え、彼らが持っている『自分と自分が生きる社会との関わりについての意見』を大人たちに届けたいと考えた」と続ける。
ティーンの投稿が多かった理由の一つには、学校の教師たちがこの企画意図に共感し、授業の一環として生徒に課題を出したことが挙げられる。さらに「ブラウン管を通して目の前で起きている戦争や自衛隊派遣について、10代の子供たちが何も感じないはずがない」(大塚さん)と言う。憲法前文は、戦後の日本が「今後は戦争をしないで、別の方法で国際社会の中で生きていこう」という決意を述べた一文だ。それを前提として現在の自衛隊派遣という現状を知った時、感受性の強い10代の若者たちは、彼らなりに疑問や違和感を抱いているはず-と大塚さんは推察している。
そんなティーンが書いた「憲法前文」の内容には、どんな傾向が見られるのか。「通常の日本国憲法の主語は『私たち日本人は』だが、10代の書いた憲法前文は『私』という一人称が非常に多い。私という人間がどう思うのか、という極めて主観的で個人的なところから始まっている」のが特徴だと言う。しかし同時に「平等」「差別」といった言葉への言及も多く見られた。「それは彼らの中に『自分がいて、自分とは違う他人がいるということ認めよう』という意識があるからではないか。『他者に対する認識』が、彼らの中に自然に芽生えていると感じた」(大塚さん)。「私」という主語は一つの前文の中でやがて「私たち」になり、最後には「みんな」という複数形へと変化していく。つまり、私がいて、自分と違う他人がいて、それらを含むもっと大きな枠組がある、というように、ゆっくりとティーンの思考回路が開かれていく過程がわかる前文が、多く目に付いたそうだ。
「滅私奉公」という言葉に代表されるように、日本人はしばしば「公」という言葉を使う。しかし、今のティーンはまず自分ありき。そして次に、他人の多様性をも抱え込んだ形での共同性の大切さを捉えている。意外に「公共性」の概念を、ごく自然に身に付けているところが興味深いと大塚さんは言う。投稿してきた中高生たちは、特に偏差値が高いわけでも、優秀という訳でもなく、全国の中高生の最大公約数だと言う。そんな彼らが、自分と社会との関わり方について言語化し、表現する能力を持っているということは、10代の彼らが有権者となる未来の社会に、一筋の可能性を感じさせる。
CDの3曲目にある「タイシタコトのないソコソコの国」という女子高生が書いた詩は、3年前の公募時に寄せられた投稿だが、様々な立場の大人たちから絶賛された。「全くもってタイシタコトのない/世界的にみてソコソコの国がいい。/立派な国にして行こう!とか言うけど/立派だからいいなんて/いったい誰が決めたんだか…。(中略)世界なんていう単位で/立派で一番!になる必要はあるのか。/私たちから見て一番幸せになれる国。/そうなる必要は大いに/有(あり)。(後略)」。「自衛隊派遣は、国際社会で日本が認められるため、外交における体裁を考え、日本という国をひたすら強く大きく見せようとしている現れ。それに対する違和感をこの女子高生は『ソコソコの国がいい』と表現しているのでは」と大塚さんは解説を加える。「一番であることや強さを誇示する国が集まれば衝突が起こる。ならば、半歩引けばいいじゃないか。もう十分に日本は豊かなのだから、他国に向かってこれ以上自国を主張する必要はないじゃないか。それよりも他人のことを考える余裕を持とうよ」という、今の日本の政治と正反対のことを10代がさらりと言ってのけたことに、大人の胸を打つ何かがあったのかもしれない。
これまで大塚さんの元に集まった中高生の憲法前文の数は、3年間で3,000を超える。その作品を通して、現代の10代が持つ「憲法」に対する意識を、大塚さんはどのように捉えているのか。「現在の改憲論は、自衛権を行使できないという理由で9条や前文を否定することが前提となっている。しかし、10代が書いた前文は、そのほとんどが現在の9条や前文の精神に近いもの。つまり、武力行使はしない、他人と上手に協調を図ろう、という考えが今の10代に支持されているということでもある。改憲論議が本格化している今、そうした10代の意識にも注目すべきではないか」と大塚さん。このCDは、一部メディアで取り上げられたことから、CDショップや発売元のモモアンドグレープスカンパニーには、発売前から毎日のように問い合わせの電話が入っている。ただ、それらのほとんどは年配者が多く、やはり10代の憲法意識に注目しているようだ。
モモアンドグレープスカンパニー憲法前文を作ったティーンたちは、憲法をどのように捉えているのだろうか。東海大学付属第三高校の生徒たちに話を聞いた。「最初に憲法前文を書けと言われてもピンと来なかったけど、考えていくうちに本気になった」と言うのは、CDの4曲目にある「ぼくたちの憲法前文/ひとことでいうと」というタイトルの曲で自らの作品を朗読した小林拓也君。この曲は計17名の高校生が自らの作品を朗読したもので、小林君は「皆で、折れない、やわらかい国を作ろう。」という前文を作った。「これを作ったときは、イラク戦争のこととか、北朝鮮との問題についても、日本がどんな対応をするのか興味があった。そんな中で、もっと日本人には柔軟な姿勢が必要なんじゃないかと考えて、この前文を作った」と、小林君は語る。つい最近、日本人がイラクで拘束されたときのニュースを見ても、日本の政府は国家としての立場を通そうとするだけで、国民のことを考えていないのではないかと感じたそうだ。
同じく「ぼくたちの憲法前文/ひとことでいうと」のなかで「やっぱ自由でしょ?」と書いた中澤敦史君は、「憲法は文章が難し過ぎる。小さい子もわかるような文章にするべきだ」と主張する。現在校則に縛られ、自由ではないということに憤りを感じているという中澤君は、すべての日本人が自由にやりたいことをやれる国が幸せなのではないかと考えたそうだ。また、「僕らはずっと哲学に」というタイトルの前文を作ったのは坂本茜さん。その作品の一部を紹介する。「―僕らには、獲物を得るための爪や牙は必要ないし、捕食者から逃れるために速く走れる足も必要ない。僕らにあるのは知識のみ。ただ僕らの知識は、生きていくにはあまり必要ではない、むしろ邪魔だと思う。(中略)僕らにこんな不必要なものがなく、ちゃんと自然のサークルに入っていれば、多くの人が無駄死にしなかっただろうし、他の種を滅することなく、争うことなく、よごすこともなかった―」。坂本さんは、「現在の憲法を日本人皆が理解して、ちゃんと護っていけば、犯罪も減って戦争もない平和な国になると思う」と話す。
東海大学付属第三高校「現代の若者は本を読まないとか、学力が低下しているなどと言われているが、自分と社会との関わりに対する考えを言葉にしていくという根本的な能力はちゃんと持っている。10代の能力の実態や言葉の豊かさを知らずに、印象だけで「今の若者は」と否定的に現代の若者を語る大人の愚かさは、ここら辺で断ち切るべきでは」と大塚さんは示唆する。戦争はしてはいけない、平和になるためにはどう社会と関わっていけばいいのか、日本はどうあるべきか・・・。そんなことを考えているティーンは、予想以上に多く存在するのかもしれない。ただ、考えたり発言したりする場が少ない今は、まだそんな10代の姿が表面化してこないのだろうか。