2000年度、ハワイを訪れた日本人の数は約182万人。海外渡航する日本人の目的地としてハワイは長らくナンバー・ワンの地位にあり、観光事業をメインの産業とするハワイにとって、日本人観光客は大きなシェアを誇っていた。しかし2001年9月11日に発生したニューヨーク及びワシントンDCでの同時多発テロにより、ハワイ観光マーケットにも大きな打撃を与えている。ハワイ観光局が発表した「ハワイへの日本人訪問者数」がそれを物語る。
2000年8月 176,036人 2001年8月 180,411人(前年比 +2.4%)
2000年9月 157,524人 2001年9月 87,965人(前年比 -44.2%)
2000年10月 146,880人 2001年10月 67,440人(前年比 -54.1%)
2000年11月 142,806人 2001年11月 58,549人(前年比 -59%)
ハワイ観光局(千代田区丸の内)広報の市川さんによると、テロ以降、日本からの観光客は激減しているが、ハワイの安全性を謳うような、特別な手を打つ予定はないという。ハワイ観光局は、2000年6月から広告キャンペーン「Aloha Magic ~何度も行きたくなる不思議~」を開始した。初年度はライフスタイルとライフステージという二つの切り口から何度も行きたくなるハワイの魅力を訴求、2年目の2001年は、なぜ何度も行きたくなるのか、その不思議を解明する年と位置付け、「理由編」を展開、そして最終段階となる2002年は、新しいライフスタイルを発見するというイメージから「発見編」として3年間の広告キャンペーンを総括するという。さらに11月からは「スーパー・バリュー・ハワイ!!」キャンペーンを展開している。3月末日まで。
ハワイ観光局90年代後半から続く“ハワイ・ブーム”と呼ばれるトレンドが起る以前から、渋谷にはハワイの衣料や雑貨、フラなどを扱う専門店「フラ・ショップ」が点在する。
恵比寿にあるフラ・ショップの老舗「マウナロア」は、2001年11月に現地に移転オープンし、渋谷エリアで最大規模のショップとなった。1階はハワイの民芸品、雑貨、レイからコーヒーまで揃うフロア。2階はドレス専門のフロア。同店を経営するエムエムジェイの代表である白杉さんは、“ロバートタイナカ.Jr”というハワイアンネームを持っている。同社の2代目にあたる白杉さんは「フラ・ショップは素人の開業は難しい」と前置きし、フラ・ショップのビジネス構造を解き明かす。「年配になっても女性はスポットを浴びたいと願っている。でも、普通の人にそういう機会は少ない。フラ・ダンスの発表会は60歳になっても化粧をし、ステージに上がることのできる数少ないチャンス。自由に使えるお金を持った年配の女性は、その時に気軽に衣装を取り揃える。ここに確実な顧客が存在する」という。
日本ハワイアン音楽協会正会員(名誉会長/石原慎太郎)の白杉さんは父親の代からの顧客を大切にし、ハワイ愛好家やフラ・ダンスのネットワークを駆使してビジネスに結びつけてきたという。作曲も手がけるほか、ハワイアン・アーティストの招聘も行い、CD制作にも関与してきた。「サーフショップにしてもフラ・ショップにしても、ショップの販売のみで潤うものではない。ハワイの商品をただ単に日本で販売するビジネスは、10年前に終わっている。今日ではハワイにはない商品を売らなくてはいけない」と説明する。同社はハワイに特化した輸入商社から、日本のマーケット事情を踏まえたオリジナル商品を開発するメーカーへと発展を遂げた。
白杉さんは1990年代の後半、自社のビジネスとは異なるチャネルでブームを仕掛ける。エリアを渋谷に限定し、ティーンエイジャーの女の子をターゲットと据えた。白杉さんは3年前まで渋谷センター街にアンテナ・ショップを開いていた。時期は渋谷を舞台に広がった“コギャル”“ガングロ・ブーム”の真っ只中。まず、トロピカル・テイスト、ロコガール・テイストを演出する小物アイテムとしてレイを販売。またたくまにレイは色黒の彼女たちの髪に飾られ、あるいは通学バックに飾られた。“チョーカワイイー”と評判を呼び、コギャル御用達の雑誌「egg」や「Cawaii」の誌面には、髪に花をつけた女の子達が溢れかえった。続いて白杉さんは、普及しはじめたばかりの携帯電話に目をつけ、携帯ストラップに小さなレイをあしらい、香水をかけて販売。これも爆発的な人気を集めた。白杉さんは「ロコ・ブームの仕掛け人」としてマスコミに取り上げられた。「確かに人は集まるが、渋谷で簡単に商売が成り立つと思い込んでいると大間違い。しかし、渋谷には必ず金を落とす店がある。渋谷は情報発信基地として上手に利用すれば、全国に大きな影響を及ぼす」と、ガングロ少女が髪にレイを飾る、渋谷発の「ロコ・ガール」ブームの終焉を見届けた仕掛け人は語る。
ミュージシャンという顔も持つ白杉さんは、ハワイアンの領域にも精通している。「ハワイアンの体質は古く、今でも教える人も聞く人も、おじさん、おばさんがマーケットとなっている部分がある。しかし、若い女性は古典的なハワイアンを聞きたいわけでも、習いたいわけでもない。彼女たちはウクレレでサザンオールスターズを弾きたいわけだから、ここに大きなギャップが発生した」と指摘する。
マウナロアハワイアンネーム“ヒデ・カラニモク”を持ち、日本で最初のレイ・メイカー(生のレイを作るアーティスト)である成富秀幸さんは、1989年にコハラ・カンパニー(南青山)を創立。94年にショップを開店。レイやフラ、ハワイアン・ミュージックを通してハワイの文化を日本に広めてきたパイオニア的存在。現在、ショップ経営とハワイアン・アーティストの招聘、レイメイキングを並行して手掛けている。創業当時、日本のフラやハワイアン・バンドはフェイクのレイしか使っていなかったという。成富さんは「それではハワイの真髄は伝えられない、本当のフラは踊れない」と疑問を感じ、アーティストに生花やレイをつけてもらうべく、日本で普及活動を始めたという。成富さんは「2~3年前からハワイアン・ブームが続いているが、ファッション的なものと、昔からのファンが継続して支持してくれているのと、二極化しているようだ。レイの講習会などで接すると、本物志向の人が多いことに気づく」と話す。同店ではオープン以降、輸入ハワイアンCDを通年販売してきた。「今でこそ大手のレコード店にはハワイアンのコーナーがあり、通年販売しているが、当時、ハワイアンは夏だけの季節もので、秋が来ると同時に店頭から姿を消した。ウチでは1,000タイトル、2,000枚のCDを扱っているが、かなりの枚数を売っている」と、成富さんは話す。固定客に支持されている専門店の強みでもある。
コハラ・カンパニーハワイアン・テイストはカジュアル衣料にも大きな影響を及ぼしてきた。わかりやすいのは、サーフショップの品揃えや古着店が扱うヴィンテージのアロハシャツなどのアイテムだが、隠し技のようにさりげなくハワイアン・テイストを披露する人気ショップもある。
2000年にオープンしたカジュアル衣料品店「One Life-General Store(ワンライフ・ジェネラルストアー)」(恵比寿)は、Tシャツやトレーナーなどアメリカ衣料にこだわり、生地や染め、糸などすべてオリジナル生産を続けている稀有なショップ。衣料や雑貨を扱うコンビニエンスなショップ、ハワイの“ゼネラル・ストア”をモチーフにし、オリジナルとインポートが8割、古着が2割という構成。同店を経営するビーグッドカンパニー代表の山田さんは「ハワイの人がオシャレをしていく時には、こんな服を着るだろう、というイメージで商品構成を考えた」と話す。店内にはウェアとともにフラ・ドールやハワイ島で購入したフラ・ランプなど、ハワイアン・テイストの雑貨やインテリアがさりげなくディスプレイされている。「趣味の世界から始まり、二十歳くらいの頃からロスのフリーマーケットでフラ人形を探しはじめた」と山田さん。フラ・ドールはフラ・ダンスを踊る女性をモデルとした小さな人形。ボディは陶器。フラ・ドールのコレクションを始めた山田さんは、日本製のフラ・ドールが最も精度が高いことを知り、数年間に渡り、国内で製造工場を探したという。やっとの思いで探し当てた山田さんは、オリジナルのフラ・ドールの制作に取り掛かる。試行錯誤の末に1997年に完成。第1弾は3,000個、2弾2,000個、3 弾1,000個、4弾700個を制作。4タイプ揃ったフラ・ドール(各3,900円)はコレクターの間ですこぶる人気で、新たなリクエストも来るという。また、ハワイアン・テイストのカフェやレストランにもディスプレイとして活躍している。
山田さんは90年代後半から続いているハワイ・ブームの要因を「まず、日本人はアメリカ文化が好き。その中でもわかりやすいのがハワイ。『あこがれのハワイ航路』や“トリスを飲んだハワイへ行こう”キャンペーンの頃から、ハワイは日本人が一番行ってみたい場所だった。しかもハワイは一度行くと、中毒になる。一度ハマると、もう抜けられない。リピーターが多いのはよくわかる」と分析する。
ビーグッドカンパニー渋谷にあるレストラン、飲食店の中には、ハワイアン・テイストを活かした店が静かに増えている。ハワイに1号店や本店を持つレストランも少なくない。その歴史は、1990年代後半から始まる。
ハワイ・マウイ島生まれの日系二世の父と、沖縄出身の母を持つロイ・ヤマグチ氏は全米をはじめ世界中で数々の賞を授与してきた著名なシェフ。1988年にホノルル・ハワイカイに1号店「ロイズレストラン」をオープン以降、フレンチをベースに新鮮なアジアの食材や香辛料を融合した“ユーロ・アジアン・キュイジーヌ”を提案。彼の提案する料理とハワイのリゾート気分を満喫できるのが、1997年開業の「ロイズレストラン広尾」。2月6日~8日には、5周年を記念して、「ホノルルマガジン」の“2002年度ベストレストラン賞”を受賞したロイ・ヤマグチ氏が来日する。同店は高級感のあるハワイアン・テイストとの“接点”といえる。
ロイズレストラン広尾/TEL:03-3406-2277カジュアル系では1997年、代官山に開店した「Down To Earth(ダウン・トゥ・アース)」(猿楽町)が先駆者。コンセプトにハワイ・ノースシュアやアメリカ西海岸のテイストを盛り込み、店舗はハワイのナチュラル・フード・マーケットをモチーフとしている。店名もハワイにある同名のマーケットから命名。ハワイの一般的な食事である「ロコモコ」(1,000円)をいち早く取り入れ、定番メニューとなっている。「ロコモコはもはや説明不要のメニューだが、新しいトレンドに敏感な渋谷だから素早く浸透したのかもしれない。他の都市だとまだ認知されていなかったかも・・・」と、料理担当の神谷(かみや)さん。「料理はいろんな食べ物を出したかったので、ハワイに限定したくなかった」と説明するように、ハワイアン・テイストの食べ物はロコモコをはじめ、ベジロコモコ(1,000円)、マヒマヒバーガー(1,300円)などごく一部。基本は野菜を中心としたナチュラルフードである。
ハワイアン・テイストが日本人に受け入れられ、渋谷でも定着している背景を神谷さんは「ハワイ経験者が増え、リピーターも多い。2年ほど前にハワイブームがあり、その時にハワイアン・テイストのものが広く浸透し、まだ余韻は残っている。ハワイには日系人も多く、最近ではハワイに行く度に、日本経済と連動しているように感じられる」と話す。さらに「日本人は、ハワイにかかわら“常夏”が醸し出す“リラックス感”を求めているのではないか」と分析する。
Down To Earth/TEL: 03-3461-5872「KUA’AINA(クア・アイナ)」は、サーフィンで有名なハワイ・オアフ島ノースショアのハレイワに本店を構え、現在はホノルルでも展開しているグルメバーガー&サンドイッチレストラン。日本では、売上げ数・店舗数ともトップを走る宅配ピザチェーン「ピザーラ」を経営するフォーシーズが提携。1997年に南青山に1号店をオープンさせ、2000年には渋谷宮益坂店がオープン、現在全国で7店舗展開している。現地のサーファーがこよなく愛したハンバーガーとサンドイッチは、新鮮な野菜をたっぷり使い、秘伝のスパイスをふりかけ、ハワイ本店そのまま。インテリアもオールド・ハワイの雰囲気を再現したもので、入口の頭上には“目印”のサーフボード(輸入品)がディスプレイされている。
フォーシーズ外食事業本部クア・アイナ事業部部長の富山さんは、「青山や渋谷でクア・アイナのハンバーガーを食べた方がハワイの本店へ行き、『青山や渋谷で食べたものと同じ味だ』と感動したというエピソードがあるかと思えば、反対にハワイ在住の日本人が南青山店や渋谷宮益坂店に訪れ、『ハワイの本店と同じ雰囲気だ』と語ったというエピソードもある」と語る。富山さんは、ハワイアン・テイストを好む日本人の嗜好を「疑似体験」という言葉で説明する。「日本人のハワイ観は、ポリネシアン文化でなく、アメリカ文化をくぐったものに根ざしている。日本のレストランで売れるものは、実はスタンダードなもので、これは安心感があるから。本当のハワイの料理はそれほど売れない。アメリカというフィルターを通したものが、日本人には人気がある」と語る。同社では「クア・アイナ」をファーストフード店でなく、レストランと位置付けている。アメリカのハンバーガーは日本で言えば“おにぎり”。各々の家にそれぞれのおにぎりがあるように、同店では自分の好みに合わせて、ビーフ100%のパティはサイズ、焼き方がオーダーできるほか、チーズの種類、パンの種類も選べる。人種が入り混じり、宗教も異なるアメリカでは、レストランでも自分で味付けをするのが習慣となっている。こういった食文化も“輸入”していると言えよう。ちなみに店名の“KUA”はハワイの言葉で“田舎”、“AINA”は“土地”を意味する。
KUA’AINA2001年3月、目黒区青葉台にカフェブームとは一線を画すカフェ「パシフィック57」がオープンした。同店はカジュアル衣料を製造・販売するジーン・ナッソーズの経営。1階がカフェ、2階が事務所になっている。店内の家具はユーズド・ファニチャー、壁にはヴィンテージ・ウクレレや古いポスターが飾られている。BGMはハワイアン。同社代表の平川さんは「日本に来たことのない、ハワイ在住の日系人が営む店」をイメージしたという。それは「日本の住空間を知らないのに、中年に差しかかった時、日本人のDNAがフツフツと湧き上がってきた日系3世が住む家で、そこかしこにさりげなく日本的なテイストや60~70年代のモダン文化のテイストが残っている家」である。カフェ開設の理由について「エイジ・フリーの空間で、おじさんにも心地よいカフェを作りたいと思った」という。平川さんは「ハワイがキーワードではなく、ハワイの島の文化に興味をもった」と説明する。それは沖縄や日本にも通じる島の文化である。「関心は観光的なハワイからディープなハワイへ、やすらぎの追求へ向かっていった。ハワイには自然に畏敬の念を持つ宗教感があり、ひきつけられた」という。平川さんはハワイアンにも関心が深く、昨年逗子で開催されたウクレレ・ファンのイベント「ウクレレ・ピクニック」に協賛したり、カフェでハワイアンのライブを開く一方、自らもウクレレを習い、バンドを組んでいる。
ジーン・ナッソーズ2001年12月、恵比寿1丁目から恵比寿西に移転オープンしたカフェレストラン「Ke Nui (ケヌイ)」の店主、石井さんは1986年から3年間、ハワイに在住した経歴を持つ。帰国後、レストランでコックを続けながら「独立するならハワイアン・テイストの店を」と考えていたという。店名は、ハワイ・オアフ島にある“ケヌイ・ロード”から命名。石井さんはイタリアンを習得しているので、シーフードを使った料理がメインだが、店のイメージは「ハワイの中でもカントリーにある、掘っ立て小屋みたいなカフェ」と話す。ディスプレイにフラ・ドールをあしらい、店内ではサーフィンのビデオを流したり、BGMにハワイアンを使用するなど、店主がハワイ好きであることは一目瞭然。オープンして間もない同店だが、月1回のサイクルでウクレレのライブを開催している。石井さん自ら、恵比寿のフラ・スタジオでダンスのレッスンを受けており、ライブではフラも見られるという。「フラにしてもウクレレにしても、ハワイ好きの間では知らない間に共通の友人ができる」と、石井さん。ハワイをキーワードとした人脈は急速に広がりつつある。
Ke Nue/TEL: 03-3476-21101997年、横浜にオープンし、人気を博した「サンアロハ」の都内1号店「サンアロハ渋谷店」が2001年12月に渋谷に開店した。エントランスの両側には、ハワイの象徴とも言える、重さ500キロ、高さ2メートルの丸太を一刀彫りした木の彫像「ティキ」が飾られ、エントランスの上部には炎のトーチがあしらわれている。「ティキ」は無類のハワイ好きという総料理長の手作り。店内の壁面はところどころに貝が見え隠れする“サンゴストーン”で構成され、その間を滝が流れる。BGMとして流れるハワイアンとともに滝の音がハワイの雰囲気を演出。天井には、ヤシの葉で作られた屋根が設けられ、屋根と屋根の間からハワイの星空が見えるという仕掛けである。さらに女性スタッフはパレオを身につけるなど、徹底したハワイアン・テイスト。料理はカレーとハワイアンメニュー。特に秘伝のソースを使用したまろやかな味のカレーが自慢。貝をあしらった器や盛り付けにもトロピカルな工夫をほどこし、ハワイアン・テイストを演出。同店の企画・プロデュースを手がけるジェイエイチピー担当者は「5年目に突入する横浜での実績をもとに新店舗開店の場所を考えた時、大人化しつつある渋谷、その中心である道玄坂が絶好の場所だと判断した」と、渋谷出店の意図を説明。さらに「店は日本人が描くリゾート地・ハワイをスケッチしたもの。徐々に定着させていきたい」と抱負を語る。
サンアロハ渋谷店/TEL: 03-6415-8368ハワイアン・テイストを味わえるのは、何もフラ・ショップや飲食店ばかりとは限らない。90年代から続く“ハワイ・ブーム”を側面で牽引したのは、音楽産業である。ハワイアンはそれを聴く年代によって異なる音楽になっている。「ずっとハワイアン」の50歳以上の世代、「70年代のサーフブームでハワイアンを知った」中年世代、そして現在の20~30代は「ハワイアンで癒される・なごむ」世代といえる。ヤマハミュージック東京の「ヤマハ音楽スクール」では、3年前に「ウクレレ教室」を開設。一昨年、昨年のハワイアン・ブームによって会員が増加した。スクール主任の田辺さんによると、ウクレレを始める年配者にはハワイアンや楽器経験者が多く、若者になると楽器未経験者が増えるという。「ウクレレは楽器自体が小さくてかわいいので、OLに人気がある」(田辺さん)という。
ヤマハミュージック東京黒澤楽器店渋谷店では、90年代後半から続くハワイアン・ブーム、ウクレレブームが引き金となっているウクレレが売れている。同店のウクレレアドバイザーで、ハワイアン・スラックキー・ギター界のリーダー的存在である松本さんは、20~30代にもハワイアンが受け入れられ、ウクレレが売れる要因を次のように分析する。
松本さんは「トイズミュージックスクール」(神宮前)で開かれているウクレレ教室の講師を務めている。「ウクレレはハワイを知ってもらうのに手っ取り早いもの。スクールでは生徒の演奏がウマイ・ヘタは問題でなく、生徒自身が楽しいか・楽しくないかが重要。楽しむことが前提。日本には幸いに“手習い文化”が残っていて、みんな思い思いに楽しんでいる」と説明する。さらに松本さんは「ウクレレを売ったら、弾き方を教えてあげたくなる。上手になったら発表できる場をプロデュースしたくなる」として、2月から渋谷「バッキー」で「ウクレレ弾こうよ」と題した集いを開くという。これは生徒からウクレレ・ファンまで食べ物を持ち込み、ピクニック気分で集ってライブを開くもの。ほかにも渋谷には、ライブ・ハウスでなくても、ライブのできるレストランやカフェが多く、「バッキー」はもとより、「にんにくや」(恵比寿)や前出の「ケヌイ」(恵比寿)など、毎月どこかの店でハワイアンのライブが開かれている。
黒澤楽器店 トイズミュージックスクール90年代後半からハワイアン・ブームが始まったのは、ウクレレの可能性を広げる日本人アーティストによる活動が活発になった影響も見逃せない。サザンオールスターズのベーシストで、ウクレレ奏者としても有名な関口和之さんが97年から、ウクレレをメインに据えたソロ活動を開始。「すぐ弾けるウクレレ 関口和之ののほほんウクレレ講座」(VHS)の発売、ウクレレ・アルバムをリリース。99年には、前出の松本さんがアドバイザーとして参加したコンピュレーションアルバム「ウクレレ・クレージー」が発売、同年「ハワイアン&ウクレレブームの教祖」と呼ばれるハワイアン・アーティスト高木ブーが講師となって「いますぐはじめるウクレレ」(NHK教育)がオンエア。2000年には、日本最大のウクレレイベント「ウクレレ・ピクニック2000」が逗子マリーナで開催されるなど、ハワイアンはウクレレブームと歩調を合わせ、拡大してきたと言えよう。
2001年3月、ハワイアン・テイストにあふれるカフェ「AINA(アイナ)」(神南)がオープン。同月、その隣に世界的シンガーで、フラ・ダンサーのサンディーが、自身のフラ・スタジオ「サンディーズ・フラスタジオ」を開設し、自ら指導にあたっている。東京生まれだが、10代のほとんどをハワイで過ごしたサンディーは、日本に戻って本格的な歌手活動を開始し、海外でも高い評価を得てきた。90年代に入り、自らのルーツであるハワイと向き合い、ハワイアンアルバムやフラ・ビデオをリリース。サンディーの音楽は、ハワイアンの古典から日本のポップス、ロックのハワイアン・アレンジまであり、ハワイアンを一気に若年層、特にOLに近付けた。ハワイアン・ミュージックと切っても切れないのがフラ・ダンス。本来、神である大地や自然への畏敬の念、自然とともに生きる喜びなどを表す神聖なダンスである。現在、日本のフラ人口は10万人を超えている。フラが20~30代の女性を中心に注目を浴びている理由は、見た目の明るさや華やかさとともに、気持ちを楽にした状態で踊ることで精神的なセラピー効果(アロハ・セラピー)があることや、自然と一体化するハワイアン・スピリットにあふれていることなどが挙げられる。現在、サンディーズ・フラスタジオは200名にも及ぶ生徒が通い、定員オーバーの状態。それでも入会希望者や見学者は跡を絶たない。サンディーは「私はこのスタジオを“渋谷のアロハ・ファクトリー”と呼んでいる。入会当初、顔色の冴えなかった生徒さんでも、レッスンを積むごとにだんだん表情が生き生きとしてくる。それを見るのがとても嬉しい」と話す。
同スタジオが他のフラ・スタジオと異なる点を、サンディーは次のように説明する。「まず決定的に違うのは、指導する私がプロのアーティストであること。私は“言霊(ことだま)”という言葉を使い、歌詞の説明をし、歌いながら踊るのです。そして自分のCDを使って踊るので、借り物でないリアリティー、説得力があると思う」。従来のフラ・スタジオの場合、生徒や会員は年に数回開かれる発表会でしかステージに立てないが、サンディーはプロのシンガー&フラ・ダンサーとして多くのステージに招聘されるので、生徒はサンディーと一緒にステージに立つ機会にも恵まれる。「私はいまハワイアンやフラと生徒を結ぶ接着剤になっている。私を通してハワイやフラにふれる機会が広がっていることがとても嬉しい」と、サンディーは話す。
サンディーズ・フラスタジオ/TEL: 03-3462-5380入会金12,000円(1年間有効)受講料36,000円(3回/月×3ヶ月 計9回)ビジター/5,000円 ※サンディーが直接指導するクラスは6クラス
「Sandii's Hawai'i ~フラの心が伝わるように~」(VHS/デジタル・ハイビジョン収録) 6,000円(税抜) 2月21日リリース 2001年9月13日、渋谷AXで行われた「Sandii's Hawai'i」でのライブ映像を中心に、サンディーのインタビュー、ハワイ・ロケなどの貴重な映像で構成。世界の歌姫のボーカルと豊かなフラの心を伝える作品。
アメリカというフィルターを通したリゾートであると同時に、神秘的な大自然が共存するハワイ。その自由で開放的なイメージは、日本人にとって最も親しみやすい“楽園”である。それほどハワイの情報量は多く、ブランド・イメージが確立されているのである。ハワイというブランド・イメージができあがっているため、インテリアや音楽、料理などに、そのエッセンスは活用しやすいとも言える。長引く不景気の中、心身ともに疲れた現代人が、「開放されたい」「癒されたい」「リラックスしたい」と望み、明るくゆったりとしたハワイアン・テイストの店を求めるのは自然の成り行きかもしれない。ウクレレやスラックキー・ギターが奏でる、そよ風のように“ゆるやか”で“のほほん”としたハワイアンが“ヒーリング”ミュージックとしてチョイスされ、“アロハ・セラピー”にあふれるフラ・ダンスが静かに脚光を浴びる背景はここにある。
それでは何故、渋谷周辺に、ハワイをモチーフとするビジネスが点在ながら集積しているのか?渋谷に展開する「ハワイアン・テイスト」のショップやレストランは、ハワイのもつ“心地よさ”加減を独特のマーチャンダイジングの視点でサービスや空間に落とし込んでいる。カルチャー市場に関しては百戦錬磨の渋谷は「そのままハワイ」ではなく、「おだやかな気風」を好む日本人の嗜好に上手くマッチさせた「カスタマイズ」力で、なごみ系トレンドに見事に融合させている点に注目したい。さらに、カジュアル志向の高い「ハワイ・コンセプト」は、おしゃれすぎる銀座や丸の内では不似合いだが、もともと渋谷のもつファッションのカジュアル・テイストとは融合しやすかった点も見逃せない。渋谷の「アロハ・カスタマイズ」パワーは、次にどんなビジネスを生み出していくのだろうか?