1990年、イタリア料理のデザートの一種にすぎなかった「ティラミス」が、数年前から起っていたイタメシブームと食材メーカーなど業界による仕掛け、女性誌の特集など複合的な要素が重なってメガトレンドとなる。イタリアンレストラン、洋菓子店はもちろんのこと、ファミリーレストラン、コンビニのデザートに至るまで「ティラミス」は登場し、さらに「ティラミス風」洋菓子や「ティラミス味」のチョコレートやアイスクリームなどのバリエーションを生み出した。「ティラミス」が菓子の国籍やメーカー、販売店、業種業態を超えて“社会現象”となって以来、洋菓子は普段の生活にさらに深く浸透した。
スウィーツ界の今年の傾向としては
などが挙げられる。昨今のヒット商品に共通する“癒し”や“なごみ”というキーワードに加え、低料金で味わえる“幸福感”がこれに加わる。定番回帰・素材重視の代表シュークリームやプリン、新・定番「マンゴー系スウィーツ」の人気とともに、アクセントとして「ごま」を使用した“ごま系スウィーツ”や“わらびもち”に代表される和食デザートの浸透も今年の傾向。一方、定番回帰の延長線上にありながら、相反する動きとして、フランス菓子をベースとしていながらもパティシエが自身が創意工夫を施した意欲作が注目を浴びたのも今年の特徴。しかし、最大の“ヒット商品”といえば、“パティシエ・ブーム”。「ナタデ・ココ」(92~93年)、「カヌレ」(95~96年)やなど“中ヒット”商品はあったものの、久しく大ヒット商品がなかった近年の洋菓子界の大きな話題は、“パティシエ・ブーム”に尽きる。「パティシエ・ブーム」の定着とパティシエの「ブランド化の浸透」は何といってもスウィーツ業界にとっては今年最大の話題。
ここ数年、フランス語で菓子作り専門の職人を意味する「パティシエ」個人に注目が集まり、テレビ番組『料理の鉄人』でも続々と人気パティシエが登場した。女性誌や専門誌の特集でもパティシエが登場する一方、パテシィエ自身のレシピ本が続々と発売されるなど、パティシエはスウィーツ・ファンにとって憧れの存在となった。パティシエの“ブランド化”である。
パティシエは、もともと器やパイ生地などに肉や魚のミンチを詰めて焼いたパテ「パテ」料理を語源とする。中世では、パティシエはこの「パテを作る人」という意味であったが、次第にパイなどの小麦粉を用いた焼き菓子の総称である「パティスリー」を作る人にまでその意味は広がり、フランスで定着したといわれている。フランスではシェフのほかにパンやデザートなど専門職に分かれており、食事全体の印象を決めるデザートを専門に担うパティシエの役割は重要。また、フランスでは菓子店の総称として「パティスリー」という呼称が用いられている。本場フランスでは、カジュアルな「街のお菓子屋さん」タイプのパティスリーと、ギフトにもなる高級菓子を扱うパティスリーに分かれて発展してきた。これは現在の日本の傾向と相似している。
日本での「パティシエ・ブーム」の背景には、ヨーロッパ帰りの若手パティシエの台頭という伏線がある。90年代後半、海外修行を終えて帰国した30代の若手職人が都内の新しい店のパティシエに抜擢されたり、独立する時期と重なった。彼らの多くは国際製菓コンクールで入賞し、世界的な実力を証明した。テレビや雑誌業界で、料理人やソムリエ、美容師など、本来“裏方”であった職人にスポットを当てる“カリスマ・ブーム”が同時進行したことが追い風となり、若手パテシィエ・ブームが起った。こうした若手の多くが海外の名店や、国内で名店の誉れの高い「マルメゾン」(成城)や「オーボンヴュータン」(尾山台)、「ルコント」(青山)、「ホテル西洋銀座」(銀座)、「スリジェ」(調布市)などの出身であったため、ある種、洋菓子界の“エリート群”として広く認知されてきたとも言える。最近では、若手パティシエを「スーパーシェフ」と呼称し、特集を組む女性誌が登場するなど、やや過熱気味の様相を呈している。
人気パティシエの条件とは、
ことなどが挙げられる。これらをクリアしているパティシェが今日の主流と言えそうだ。
パティシエ自身の名を冠した店が急増しているのも、パティシエの「ブランド化」の証し。オーナー・パティシエの店では、「エミリーフローゲ」(立川)でシェフとして活躍した藤生善治氏の「パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ」(1993年開店、日野市)、「クレッセント」のシェフパティシエを務めた柳正司氏の「パティスリー・タダシ・ヤナギ」(1988年11月開店、神奈川県)、「ホテル西洋銀座」より独立した稲村省三氏の店「パティシェ イナムラ ショウゾウ」(2000年秋開店、台東区上野)、「レ・サヴェール」のシェフパティシエとして活躍した高木康政氏の店「ル・バティシエ・タカギ」(2000年8月開店、世田谷区深沢)、ウィーンの「カフェ・モーツアルト」でシェフを務めた藤田可也氏の「パティスリー フジタ」(2001年2月開店、南青山)などが挙げられる。
パティシエ・ブームは当然のごとく、「デパ地下」へ波及していく。スウィーツが抜群の集客能力を持つことを熟知しているデパートは、客寄せ効果の高い菓子のブランドやパティシエの選定を行う一方、有名デパートへの出店を一種の“ステータス”として考えるパティシエにとっては、都心の一等地に出店する絶好の機会でもあった。都内のデパートでは「人気パティシエ展」が行われるに至っている。海外ブランドの洋菓子や、お馴染みの国産ブランドである「ユーハイム」「モロゾフ」「コロンバス」「ヨックモック」などが占めていたデパ地下のスウィーツコーナーに、やがてレストランのケーキ部門であった「レカン」や「マキシム・ド・パリ」が加わり、90年代後半から「キハチ」(パティスリー キハチ)や「クィーン・アリス」(パティスリー クィーン・アリス)、「オテル・ドゥ・ミクニ」など、料理界の新勢力がディフュージョンブランドとして参入、そして「カリスマ・パティシエ」の登場となる。
シブヤ西武B館地下1階「ザ・ガーデン シブヤ西武」の「ホットパティシエ」コーナーでは、前述の「パティスリー・タダシ・ヤナギ」、「パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ」など、人気パティシエ7人の自慢のケーキや焼き菓子が日替わり(限定販売)で並び、ザ・ガーデンの目玉となっている。
シブヤ西武渋谷には、多店舗展開を図る人気の専門店が多く存在する。青山や代官山に店舗を構える人気店「キルフェボン」は、女性スタッフを全面に打ち出したケーキ店。現在、青山、代官山、銀座のほかに、静岡、神奈川、京都など、全国で8店舗を展開中。ケーキショップをビッグビジネス化した先駆者でもある。雑貨店のようなファンタジックな佇まいが印象深いが、実は同店を経営するラッシュのオーナーは、ケーキ店を始める前に雑貨店を営んでいる。同店の特徴は、店内を二分するような巨大なショーケース。フルーツをふんだんに使った、かわいらしいケーキが若い女性を魅了し、行列ができる店として一躍有名になった。すでにクリスマスケーキの予約は終了している。
キルフェボン「なめらかプリン(280円)」で名高い恵比寿の「パステルデザート」は、全国区の知名度を誇る。「なめらかプリン」の登場はプリンの食感に大きなインパクトを与え、プリン業界の革命とも言われている。今では、なめらかでクリーミーな食感のプリンは「パステル系」とも言われるほど。恵比寿以外でも渋谷神山店、小田急新宿店、吉祥寺ロンロン店など、各店舗とも繁盛している。シンプルだからこそ飽きない「なめらかプリン」というブランドを確立したことで他店との差別化に成功したと言える。このように看板スターを作り上げるのもスウィーツのひとつの戦略。
パステルデザート恵比寿店 TEL 03-3446-3771駒沢通りから小路を入った路面にある「パティスリー マディ代官山」(恵比寿)では、若手チーフ・シェフ、桜井さんが編み出すケーキが人気を博している。桜井さんは「フランス菓子をベースとして素材をどのように活かすのかということに気を配っている。付加価値として、飾りやサービスがある」と、自身のポリシーを語る。人気店のポイントとしては「おいしい、サービスが良いのは当たり前。プラスアルファがないと、今日では流行らない。いつも活発に動いているといった活気をアピールしていかないといけない」と分析する。
桜井さんは今後、自身の店を開くため、来年1月にイタリア、スペイン、ポルトガルなどへ修行に出向くという。「パティシエ・ブームの中に自分もいるが、経営者のスタンスと職人のスタンスのバランスを考え、出店する前にもう一度、世界を見てこようと考えた」と話す。人気パティシエの今後の活躍が気になる。一方、同店では12月22日までクリスマスケーキの予約を受け付けている。ディ・ミュー(2,500円、3,500円)、苺のショートケーキ~マディ風(1,500円、2,500円)、ブッシュ・ド・ラ・シャテーニュ(2,000円、2,800円、4,500円)、ビジュー・ド・ボワ(2,000円、3,000円)。
パティスリーマディ代官山 TEL03-5721-9761パティシエ・ブームとは一線を画す人気店が代官山にある「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ」(猿楽町)。フランス語で「セーヌ川に雨が降る」という意味を持つ同店は、1986年、創業者オーナーの弓田氏が代々木上原に開店。1995年に現在の代官山に移転オープンした。1999年には、弓田氏の愛弟子である柳さんがシェフに就任。同店が追求するのは、味、香り、食感の3つが調和したケーキ。創業オーナーの弓田さんは「ブールミッシュ」の工場長を務めた後、2度に渡ってパリ「ジャン・ミエ」で研修。そこでフランス時代に当地で作ったケーキと、帰国後に作ったケーキの味の違いに落胆したという。その原因を探ると、見えてくるのはフランスと日本の素材の圧倒的な違いであった。フランスでの味を再現するために両国の素材の違いを踏まえ、配合も技術も徹底的に構築し直した。また、納得のいく素材が入手できない状況が続いた弓田さんは、フランスやスペインに赴いて捜し、優れた材料を直輸入することにしたのである。ちなみに、愛弟子の柳シェフもパリ「ジャン・ミエ」で修行をしている。
デパ地下への出店について、同店を経営する「イル・プルー・シュル・ラ・セーヌ企画」広報担当の飯村さんは「いろいろとお話を頂き、試したいと思いつつも、『お菓子作りは単に作って提供するものでなく、作り手の精神が深く関わるもの』とするオーナーの考え方から、すべて断っている」と話す。また、同店の向いに、パティスリーと同じ菓子を作る菓子教室「嘘と迷信のないフランス菓子教室」を開講しているのも同社の特徴のひとつ。毎年300名以上の生徒が全国から通っている。製菓材料・器具の通信販売と並行して、「少量でおいしいフランス菓子のためのルセットゥ」など、専門書を自費出版している点も異彩を放っている。同店のクリスマスケーキは予約のみの販売となっているが、数量限定で当日販売のアルザス地方のノエル菓子などもあるとのこと。おすすめのクリスマスケーキは4種類の「ブュッシュ・ドゥ・ノエル」(3,800円~4,000円)。今年の新作、柳シェフ・オリジナル「いちじくのブュッシュ・ドゥ・ノエル」、パリ「ジャン・ミエ」オーナーシェフであるドゥニ・リュッフェル氏オリジナル「マロンのブュッシュ・ドゥ・ノエル」が特に期待できる。
イル・プルー・シュル・ラ・セーヌチョコレートを使ったケーキ、焼き菓子の評価が高い「ミュゼ・ドゥ・ショコラ・テオブロマ」(富ヶ谷)は1999年にオープン。オーナーシェフの土屋さんは、パリのショラトリーやパティスリーで修行を積み、帰国後、千代田線代々木公園駅下車・徒歩3分という場所に同店を開店。「ミュゼ・ドゥ・ショコラ」とは、フランス語で“チョコレートの美術館”、「テオブロマ」はギリシャ語で“神様の食べ物”を意味する。オープンしてまだ2年半だが、土屋さんは「スーパーシェフ」や「名パティシエ」として雑誌やテレビ番組で紹介されることが多く、抜群の知名度を誇る。
土屋さんはパティシエが脚光を浴びる今日の風潮について「10年前はナショナルブランドしか有名な店はなかったが、ここ数年の間にフランス帰りの個性的なパティシエが店を出すようになり、彼らの作り出す手作りケーキが大手メーカーの手作り生産品よりおいしいことに消費者が気づいた。それは正当な評価と言える。もともと地味な世界だっただけに、今くらいの取り上げられ方で、やっとプラスマイナス・ゼロといった感じ」と感想を述べる。しかし、一方でビジネスとしての厳しさを直視することも提言する。「あこがれだけでこの業界に入ってきても、ビジネスとしてはなかなか成り立たない商売。100人のうち自分の店を持てる人は3~4人。店を持った10人のうち、数年の間に3~4人はつぶれる。成功するのが100人に1人。サラリーマンより良かったかな、という人が1人いるくらい」と業界を俯瞰する。さらに「ちゃんとした事業計画があるかないかが重要。ケーキ業界は、意外にしっかりした事業計画を立てられない経営者が多い。作り手・職人としての側面と経営者としての側面のバランスが大切。しかもその両方に努力が必要で、センスが良くなくてはならない」と加える。
代々木八幡駅から徒歩5分、代々木公園駅から徒歩3分、一方通行の商店街の中程に位置する現在の店のロケーションは、商圏を調査したうえでの出店であるという。「駅から5分くらいの距離なら、歩いてもらい、店を捜してもらいたい。つまり訪ねてきてもらえる店を考えた。そういう意味では、渋谷からもほどほどの絶妙な場所。つぶれないなら、売上げは少ないほうが良い。横綱になって負け越すと、あとは引退しかないが、平幕で30年~40年続けていく道を選ぶ」と、独自の経営者感覚を語る。「まず、味・技術が第一なのは当然のことで、その上で消費者の気持ちをつかむことが大切。また、私は他人と逆の発想を好むところがあり、チョコレートは売れない、女の子は使えない、この通りは人通りが少ないなど他人の言葉の裏に見える真実を見抜くことも大切」。
同店がチョコレートの名店として知名度を上げたことは、ブランドの確立である。ひとつの特化した商品を持つことで、集客が伸び、焼き菓子とケーキにも注目が集まる。事実、同店では、焼き菓子がよく売れているという。「チェコレートをメインに出しているけど、パンもケーキも作りたい。ケーキは集大成」と、土屋さんは抱負を語る。デパートへの出店依頼は断ってきた土屋さんがシブヤ西武B館地下1階「ザ・ガーデン シブヤ西武」の「ホットパティシエ」に参加したのは、「西武という土俵に出たら、テオブロマのケーキがどれくらいの人気があるのか、ひとつのバロメーターとして見たかった。結果には満足している」と手ごたえを感じている。さらに来年は、広尾への出店が決定している。
ミュゼ・ドゥ・ショコラ・テオブロマ近年、スウィーツはパティシエの活躍もあって、完全に生活に溶け込み、ビッグビジネスに発展する企業も増えてきた。では、2002年はどのような方向に向かうのだろうか。
2002年のスウィーツの傾向は
の3点が挙げられる。
デパ地下では、ブランド店の有名パティシエの争奪戦が繰り広げられてきたが、ここにきてオリジナリティと手作り感を全面に出すため、敢えてノーブランドに目を向けるデパ地下が登場してきた。今は無名でも腕のいいパティシエを発掘し、口コミでその美味しさを伝えていくことで、将来に向けた新たなブランドの可能性を視野に入れていると見られる。
一方、経営感覚に長けた若手パティシエの中には、今後挑戦したいことのひとつに「新たな業態開発」を挙げる例が多い。著名なフランス料理店がデザート専門店を出店し、多店舗化した過程をつぶさに見て刺激を受けてきた若手パティシエが中心となって“デザートを中心とした”レストランやカフェの開発に意欲を見せる。また、個性派カフェが若手パティシエにケーキの開発を依頼し、そこから人気デザートが生まれてくる可能性も高い。カフェ業界は“カフェごはん”に次ぐヒット作として、明らかに質感の高いデザートに力を注ぎ始めている。やや過剰気味なカフェの次の差別化として、来年は“カフェ・スウィーツ”人気が高まると予想され。さらに、中国茶や日本茶が脚光をあび、本物志向の専門店が増えてきたことから、それらのお茶に合うデザート、つまり和菓子を含めた“アジアン・デザート”人気ももうひとつのトレンド。来年は、腕のいい日本人パティシエが和洋のエッセンスを巧みに融合させる“フュージョン・スウィーツ”にも期待が高まる。
個性派ショップがひしめきあう渋谷で繁盛店となるには、“腕”プラスアルファが必要であることは言うまでもない。ケーキショップの経営は他の業種と比較して難易度が高いとされている。つまり、ビジネスの「甘さ」と「辛さ・苦さ」を熟知した経営者が、スウィーツ界の「勝ち組」となる。