創業期から成長期、成長期から安定期に入ったベンチャーはさらなる競合力のアップ、市場価値の追求のために企業再編を迎える。日本では10年の歴史もないITベンチャー業界は、起業からIPO(新規株式公開)、分社独立、提携、事業売却、企業買収など、通常では考えられないスピードで展開してきた。驚異的なスピードを要した理由のひとつには、技術開発のスピード、提供するサービスの開発・進化に則して企業の形態を変える柔軟性が必要不可欠であったことが挙げられる。新規事業の開発、スタッフの増員に対応すべく幾度となく本社を移転し、時には設立まもない企業でも躊躇することなく社名まで変更する。必要とあれば経営陣も入れ替える。これはITベンチャーには若い経営者のもと経営基盤がしっかりしていない企業が多いため、起業家が自社資源だけでの成長にこだわることなく、積極的なM&Aや戦略的なアライアンス(提携)を常に視野に入れてきたからである。こういった素地があることで、IT業界は再編成を繰り返している。
事実、渋谷ITベンチャー業界では、短期間のうちに企業のスピンオフ(会社の一部門を分離し独立させること)や、企業内起業家によるスピンアウト(企業から独立すること)が日常的に行われ、株式移転・交換などの手段を通じたグループ化など、企業と事業の再編が加速している。スピンオフには一事業を特化させるために発展的に分社化・グループ化するケースと、主力ビジネスと異なる部門や利益が上がらない部門を切り離すケースがあり、“拡大路線”と“縮小路線”の見極めは外部から見えにくく、複雑な様相を帯びている。企業や事業のバイアウト(売却)が頻繁に行われるのもIT業界に多く見られる傾向のひとつである。歴史の浅いITの分野では、少数精鋭の小さな組織の方が事業を拡大しやすいという利点があるので、スピンオフ、スピンアウトは積極的に行われている。
近年、グループ企業または企業内事業部門の運営メンバーが、社外の投資家グループとともに新しい経営メンバーとなり、親会社からその事業部門を買収するMBO(マネジメント・バイアウト)が、“事業再生”の手法として注目されている。既存企業からの新しいスピンオフ形態であるMBOは、日本に古くからある「のれん分け」に近い。日本ではITベンチャーが登場した1990年代後半に取引件数が急増する。三菱総合研究所によると、近々発表される2001年度のMBOは、一案件数、投資総額とも過去最高となっているという。
件数 | 金額(百万円) | |
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1997年 | 0件 | 0 |
1998年 | 9件 | 5,111 |
1999年 | 15件 | 31,779 |
2000年 | 11件 | 40,375 |
三菱総合研究所の調査によると、2000年は大型取引の占める割合が増加し、売却の72%はベンチャーキャピタルが投資を行った案件であった。特に2000年度の取引件数の約71%は、売り手企業が売却を好んで選択している点も野逃せない。事業売却で一般的な産業分野はコンピュータ関連で、市場のシェアは拡大している。ここにも加速するITベンチャー業界の再編の裾野が見られる。
三菱総合研究所買収した企業の価値が高まれば、企業を再度売却するケースも多く、米国ではすでにひとつの事業として確立し、過去30年に大きく成長を遂げてきた。バイアウト投資会社は、買収先企業の悪化した財務体質を豊富な投資資金で立て直し、“プロの経営者”を送り込むことで経営面でも支援する。数年かけて買収先企業の企業価値を高め、株式上場や売却などによるキャピタルゲイン(株式売却益)の獲得を目指すなど、日本の企業風土にはそぐわなかったビジネスも“IT革命”、“経済のグローバル化”とともに上陸した。
ITベンチャーのインキュベーションを手がける「ネットエイジ」(神泉)は、ビジネスを立ち上げ、スピンオフや事業譲渡を展開する有力企業。1998年の設立ながら、オンライン新車見積仲介サービス「ネットディーラーズ」やポイント制プログラム「ネットマイル」など、すでに多くの新たなネットビジネスを事業化してスピンアウトし、事業の売却も行ってきた。渋谷“ビットバレー”が騒がれる前から、代表の西川潔氏が自身を慕って集まった大学生を個人的に支援していたことは有名。いわゆる“西川門下生”“ネットエイジ卒業生”をIT業界に数多く送り込み、起業家を育ててきた功績は大きい。
ネットエイジ懸賞をベースとしたマーケティングプロモーション全体を企画立案するのが、1999年設立の「アクシブドットコム」(神泉)。同社の代表を務める尾関さんは、創業間もないサイバーエージェントに籍を置き、その後、ネットエイジの西川氏のもとで、自動車見積仲介サービス「ネットディーラーズ」の立ち上げに参画。同事業の売却後、起業家を目指していた尾関さんは、ネットエイジに間借りする形で「アクシブドットコム」を創業している。また、求人サイト「Find Job!」を運営する「イー・マーキュリー」(1999年設立、円山町)代表の笠原さんも、大学生起業家としてネットエイジのオフィスを間借りし、支援を受けながら会社設立を達成した。
アクシブドットコム イー・マーキュリー前出のアクシブドットコムは2001年、サイバーエージェントが株式を取得し、同社の子会社になる。サイバーエージェントは事業の拡大ともに相次いで新会社を設立するほか、オンライン懸賞サイトを買収するなど着実にグループ化を進めてきた。一方では、1999年に子会社として設立した「フープス」を2001年に「楽天」(目黒区)に売却するなどスピンアウトも経験。その楽天は、1995年設立の不動産情報サイト「ネクスト」、1997年設立のショッピングサイト「ビズシーク」など、数多くのベンチャー企業を傘下に加え、一大勢力を築いている。
楽天 サイバーエージェント2000年にサイバーエージェントは、同社が現在運営しているオプトインメールサービス「M@ilin」事業の運営をスピンオフさせ、グローバルメディアオンライン(以下GMO)(桜丘)及びオン・ザ・エッヂ(港区)の2社と共同で新会社「メールイン」を設立。その後、メールインは株式交換によりGMOに譲渡し、GMOグループとなる。一方、GMOとネットエイジは2000年、ネットエイジが運営していた無料メーリングリストサービス「FreeML(フリーエムエル)」をスピンオフさせ、新会社「フリーエムエルドットコム」(桜丘)を設立。さらに2001年には、まぐクリック(桜丘)が子会社マグプロモーション(桜丘)の発行済株式の全株式をフリーエムエルドットコムに譲渡。GMOは2001年に子会社としたマグプロモーション、前出のメールイン、フリーエムエルドットコムのグループ3社を2002年4月に合併し、新会社「GMOメディアアンドソリューションズ」(桜丘)を設立した。これらの流れは、GMOグループの事業ドメインであるインターネット関連事業をより効率的・迅速に推進するためのグループ再編の一環として実施されたものだが、この一例を捉えるだけでも凄まじいスピードで提携、スピンオフ、M&Aが進んでいることがわかる。
上場会社である親会社が子会社の株式を親会社の株主に無償交付することで、親子会社関係を解消し、グループからスピンオフすることはITベンチャー業界では定石である。創業間もないベンチャー起業家は「次のステップへ向けての事業売却」を公言し、企業経営がアメリカナイズされてきたことを裏づけている。
それでは、ITベンチャー企業は公開により手にした資金をどの分野に投資・運用しているのだろうか。大手証券会社渋谷支店の担当者は「上場すればIR(投資家向け広報)上、公開しなければならないので、資金の運用も投資家にディスクロージャー(公開)しなければならないが、ベンチャーキャピタルが投資企業に向かって『その資金は○○に使用すべきだ』とは口にしないのが現状」と話す。
ITベンチャーのスタートアップに必要な資金、オフィス、技術、マーケティングなど、多角的にサポートする「サンブリッジ」(道玄坂)は1999年12月に設立。シリコンバレー型のベンチャー支援モデルを日本に実現するため、設立間もないアーリーステージのベンチャーを中心に支援している。「ちょうど“ネットは儲からないよ”という風潮が蔓延していた“ネットバブル崩壊”以降に投資を始めたが、ポジティブな方向に目を向けてきた」。設立以降、渋谷ITベンチャーを俯瞰してきたサンブリッジでは、成長している企業と渋谷を中心とするITベンチャーの特徴を次のようにまとめる。
今春、商法の改正により、ベンチャーキャピタルの運営が行いやすくなった。エンジェル(個人投資家)も育っている。丸島さんは「渋谷は若者の街なので、ベンチャーの中心地となるよう活性化していきたい」と語る。
サンブリッジ1991年「パイパーネット」を設立、広告を表示することでインターネット接続料金を無料、または安価にするシステムを開発し、米国に現地法人を設立するなど、時代の寵児として注目を集めた元同社代表の板倉雄一郎氏は、1997年に同社倒産、1998年に自己破産を経て、同年「社長失格~ぼくが会社をつぶした理由~平成インターネットベンチャー盛衰記」(日経BP社刊)を発刊。以降、精力的に講演活動、執筆活動を続け、2000年にはベンチャー企業支援、ファンド運営を手がける「ベンチャーマトリックス」(神宮前)を設立。現在、ベンチャーキャピタル、コンサルタント、文筆業、タレント業と、幅広い分野で活動を行い、今年6月には「ベンチャー学」(日経BP社)の刊行を予定している。
渋谷“ビットバレー”以降のITベンチャーの動向を、距離を置いて眺めてきた板倉さんは「スタートアップした時に陣取り合戦があり、いま残っているのは指定席を確保した企業ばかり。それらの企業はもはや高いリスクを背負ったベンチャーというより、起業家も相応の経営者になっている。ただ、リスクテイクのないところにリターンはない。そうした意味では、ベンチャーが小さくまとまるようになってきた」と示唆する。インターネットの創生期は、マーケット自体の拡大のために、ベンチャーがシェアしながら進化を遂げた。しかし、今日では“生き残る”ことに目的になっている。「足元のリスクテイクをしないと、長期的に見ると大きなリスクになる。一方、リスクテイクし過ぎた企業が失敗し、それを見て多少おじけづいたのか、ベンチャーは安定志向を望む傾向にある」とも付け加える。
ベンチャー経営者について「資質は上がっている。しかし、経営者として熟成しても、アントレプレナーとしては色褪せていく可能性も高い。一方で、若い経営者の中には、新たな概念や想定できないパラダイムが生まれている」と、板倉さんは分析する。それは企業という概念を超えた、資金運営から組織までフラットなプロジェクトとして顕在化しつつある。スキルを持った個人がプロジェクトに参加し、事業を立ち上げ、運営していくビジネススタイルでは、そもそも巨額な開発資金を必要としないため株式公開の意味も薄れてくる。「資金調達の必要性がなければ、公開は不要。M&Aも含めて新たなプロジェクト・ドライブが求められている」。
ベンチャーマトリックス 板倉雄一郎事務所ITベンチャーにとって、 “ネットビジネス”を成功させる上で「スピード感あふれる事業展開」が必要不可欠であることは否めない。「先んずれば人を制し、後るれば人に制せらる」(史記)は、まさに全ITベンチャーが唱える、暗黙のスローガンであった。しかし、ITベンチャーといえども、しっかりとした企業戦略、サービスの充実、自己資金の確保、優秀な人材の確保など、企業の根幹を成す要素は非ネット系と変わらない。
渋谷“ビットバレー”をバックグランドに持つ渋谷ITベンチャーが、“ネットバブル”の洗礼を受け、逆風にも負けない盤石な経営を目指すようになったことは、企業の論理として至極当然である。危険を冒しても“挑戦的な姿勢を取りながら、市場になかった新たなサービスを生み出す”“独立的な経営を行う”“歴史の浅い中小企業”と定義されるベンチャーが、提携、分離・独立、売却・買収を経て、中小企業の枠を脱することはIT業界の底上げにもつながる。渋谷“ビットバレー”から巣立ち、規模的に“脱ベンチャー化”を成し遂げた企業は多い。一方で、赤字体質を脱却できず、結果として大手グループの系列下で効率的に経営改善を行い、再生を目指す企業も少なくない。
折りしも、マークシティにオフィスを構えるNPO法人「ETIC.」(エティック)が運営する「ソーシャルベンチャー・ビジネスプラン・コンペティション」の最終発表会が4月20日、マークシティ内の「多摩大学ルネッサンスセンター」で開かれる。事業的手法を活用して社会的課題に取り組んでいる起業家が、メディアやサポーターに対してプレゼンテーションを行うビジネスプラン・コンペティションには71件の応募があり、内26件は学生からのプランで、MVPには賞金30万円が贈呈されるほか、事業化に向けたサポートが受けられる。応募者の平均年齢は26歳。
ETIC.ハードの普及やインフラの整備を背景に、インターネットの“道具化”が加速する今、IT だけで完結できるビジネスの成功は難しさを増している。“勝ち組“ベンチャーは、既存のビジネスモデルの組み合わせにより、それなりの勝算を描くことができるようになっている一方で、パイそのものの拡大が見込めず、停滞感の漂うITビジネスでは、この殻をブレークスルーするビジネスの“新たな種”が不足している。しかし最近、渋谷界隈には、大学関係の若手研究者や学生が交流を通じて長期的な視野でビジネスモデルを模索する姿が見受けられるようになってきた。「短期回収」という呪縛に縛られない彼らは、新しい技術や考え方をベースにしたプロジェクトに心血を注ぎ、その実現に夢を賭ける。しかも、学究肌には見えないスタイリッシュでおしゃれな人種も少なくない。その姿は、むしろ次世代のベンチャーの出現を予感させるものがある。
日本学術振興会特別研究員で早稲田大学大学院の園田智也(ともなり)氏が代表を務める「うたごえ有限会社」は2001年1月の設立で、早大研究開発センターと渋谷キャットストリート近くの2ヶ所にオフィスを構える。同社の事業概要には「歌声によって曲を検索するシステムの開発、ライセンス販売」とある。例えば、鼻歌が歌えても曲名がわからない場合、マイクに向かって「自由な音高」「自由なテンポ」「自由な歌い出し」で歌えば、データベースの中からマッチングする曲を瞬時に探し出す検索システムで、いわば「Google」の歌声検索版とも言える。すでに日本・米国・欧州の5カ国で特許を出願し、すでに米国・欧州では特許を取得した。「歌声検索は生活のあらゆるシーンで応用できるため、将来的なニーズは大きい」と話す園田氏は、カラオケやケータイ、CMソングなどでの実用化に向けて精力的に活動している。
うたごえ有限会社昨年8月、原宿に設立された株式会社フォトンの代表は、京都造形芸術大学講師の渡邉英徳氏が務める。ゲームソフトの企画・開発が主な業務だが、子供たちの未来を考えて“戦わない、殺さないゲーム”の開発を会社のコンセプトに掲げ、様々なメディア・アート・プロジェクトに意欲的に取り組んでいる。
フォトン“渋谷ITベンチャーウォーズ”第2幕の鍵は、「学」が握っている可能性は否定できない。シリコンバレーでは、むしろ「学」が主役となってベンチャーの歴史を築いてきた。「産」「学」の接近によるコラボレーションの実現こそが、シリコンバレーに通じる道なのかもしれない。