酒販業界には、試飲して自分の口にあう酒を選ぶ購入スタイルが江戸時代からあったと言われている。これは当時、酒の販売は瓶でなく “量り売り”されていたことが理由のひとつ。ラベルがついていない状態で、消費者は純粋に酒を購入していたのである。店主が口頭で全国の酒蔵の情報や「甘口・辛口」のインフォメーションを行い、消費者は酒販店で何種類から銘柄の酒を試飲し、自身の舌で好みの酒を確認し、納得したうえで希望する量を持参した容器(桝や徳利)に注いでもらい、自宅へ持ち帰った。
試飲は消費者にとってはリスクを冒さずに好みの銘柄を選ぶ最短手段であり、販売する側にとっては顧客サービスの一環である。特定の銘柄を気に入った消費者はリピーターとなり、次回来店する際には指名買いする。もともと“利き酒”というシステムを持っている酒販業界に“試飲”に対する抵抗感はなく、明治以降は蔵元が店内にカウンターを設けて試飲を始めた一方で、酒販店も立ち飲みコーナーを設けるなど、テイスティングは一般に広まっていった。近年ではワイン専門店が店内にテイスティングカウンターを設けるなど、テイスティングを“古くて新しい”店頭プロモーションと捉え、積極的に展開するショップも増えてきた。
渋谷の有名なショップを挙げると、約600アイテムを誇るワイン専門店「ヴィノスやまざき WINE+ist (ワインイスト)渋谷店」(シブヤ西武A館地下2階)、全国に12店舗を展開するワインショップ「エノテカ」(本店・広尾)、ワイングラス専門店「RIEDEL(リーデル)ワインブティック」(南青山)などが店内でテイスティング(有料)を実施している。恵比寿の「紀伊國屋酒店」は昨年12月、改装した際に「試飲カウンター」を設けた。立ち飲みバースタイルで、ワイン、日本酒、焼酎、ウイスキー、ブランデーなどが200円~600円で試飲できる。
一方、ビールメーカーも顧客サービスとマーケティングの一環としてテイスティングを行っている。恵比寿ガーデンプレイスの一角に建物を構えるサッポロビール運営の「恵比寿麦酒記念館」(入館無料)には、スタイリッシュなテイスティング・ラウンジ(120席)が設けられ、サッポロビールの新製品や限定醸造ビール(9種類)が1杯(約330cc)200円で試飲できる。館長の古谷さんによれば、利用者の3割が「飲みくらべセット」(400円)を選ぶという。これは味の異なる4種類のビール(エーデルピルス、ケルシュ、ヴァイツェン、エール)を一度に楽しめるもので、こぶりのグラス1杯が170ccと少量で飲みやすくなっているのが好評の理由。テイスティング・ラウンジが混み合うピークは午後3時で、メーカー直営のために採算は度外視。古谷さんは「日頃、味わえないビールを低価格で楽しんでもらい、ビール文化を広めたい」と話す。
恵比寿麦酒記念館アルコールは新しいブランドが毎年登場する業界。ワインや日本酒は「甘さ」「辛さ」など細かな嗜好があり、また商品によっては高価なので、まだ口にしたことのない商品を購入する際にCDの「ジャケ写買い」がしにくい商品。また、ワインなどボトルで購入するとなると、単価も上がる。一昔前の「試飲・試食」は、あくまでも“無料提供”を前提としていたため、どうしてもグレードの低い商品や低価格の商品が対象になっていたが、最近では“有料試食”が売場のトレンドになっている。本当にいいものを探し求める顧客は、数百円を払ってでも、試してみたいのが心情。売り込む方も赤字にならない範囲であれば、商売が成立する絶好のチャンスとなるという点を背景として捉えれば、顧客側と販売側双方の思惑が一致したリーズナブルな商法と見ることもできる。
アルコールだけでなく、近頃はお茶や紅茶・コーヒーも試飲が主流になってきた。ここから茶葉や豆をグラムで購入し、自宅で楽しむ消費者が増えつつあることがわかる。茶葉や豆の種類は豊富にあり、産地や種類によって味が異なるため、消費者にとって“味の指標”となるものが少なかったが、小売店の努力により、多くの店でテイスティングが可能になった。
中国茶ブームの影響で渋谷でも急増した中国茶専門店。中でも表参道の路面に店舗を構える「遊茶YouCha」(神宮前)は5年前に開業した中国茶販売の先駆者。1階は無料のテイスティングと茶葉の小売コーナー、5階は景色を眺めながらゆっくりとお茶を楽しめる喫茶店となっている。もともとお茶は品種がたくさんあるため、今日では商品としてのお茶が数多く発売されている。代表の藤井さんは「最終的にいま自分が飲みたいお茶は何なの、ということが大切。そこに至る早道が体験してみるということ。つまり試飲。でも、それだけではウンチク好きの日本人には物足りない。試飲の場にプロの専門知識がついてくることで、お茶もワインもコーヒーもキラキラしてくる。つまり商品の価値が高くなる。だからこそ、知識のしっかりしたスタッフの存在意義がある」と、テイスティングとともにスタッフの重要性を説明する。
同店のテイスティング・ルームに3、4時間も留まる人がいるという。「店を開くのにあたって、自分の好きなもの(お茶)を多くの人に知ってもらいたいという気持ちが始めにあったので、たとえ回転率が悪くても、中国茶に強い興味を持ってくれる人が増えることが喜びでもあり、何時間もかけてテイスティングする人が現れないと、我々の商売は成功したとは言えない」と、藤井さんは語る。また、中国茶にのめり込むのは、圧倒的に男性が多いという。「中国茶のように歴史のあるものは深さがあるのでとてもおもしろい。産地や淹れ方だけでなく、中国の歴史や文学なども引っかかり、最終的には文人の世界に至る」と、藤井さんは中国茶をフックにして開かれる世界の広さや深さを強調する。同店では定期的に初心者向けに「中国茶講習会」(中国茶の分類やおいしい淹れ方)を開催するともに顧客向けの「茶会」を催すなど精力的に広報・普及活動を展開している。また、藤井さんは「読売文化センター恵比寿」(アトレ7階)で講師を務めている。
遊茶バラエティ豊かな食品が揃う“デパ地下”は、もちろんテイスティングの宝庫。テイスティングのもうひとつの代名詞は“試食”。とにかく実際に味わっていただいて、財布の紐を緩めようと、多彩な“試食”メニューが顧客を待ち受けている。
東急フードショーにある「フェルミエ」は、日本で最初のチーズ専門店の直営店。輸入チーズがメインなので新規入荷時期によって試食できるチーズは異なるが、何種類かのチーズは必ず試食できるようになっている。ブルーチーズ、 白カビ付きチーズ、山羊乳でできたチーズ、羊乳でできたチーズなど種類は豊富。 また、ワイン売場に隣接していることもあってそれぞれのワインに合うチーズや、チーズに合うワインを勧めてくれる。最新入荷チーズはフランス産の「トム・ト゜・コルス」850円(100g)。
フェルミエさらに東急フードショーでは、はちみつの試食ができる。杉並区にあるはちみつ専門店「L'abeille(ラベイユ)」が、今年4月、東急フードショーに出店した。同店の店頭にはフランス、スペインなど国内外の42種類のはちみつが並び、売場に備えられた小瓶からスプーンに小分けして、全種類のはちみつのテイスティングができる。普段、味わいの差になじみのない商品で、またコーヒー(ベトナム産)580円(1250g)などユニークなはちみつも数多く扱っているので、テイスティングはその違いを訴求するには最良の手段となっている。9種類は量り売り(100g~)も可能で、気に入ったはちみつを、使う分だけ、持参した容器につめてもらうこともできる。料金は種類によって異なるが、アカシア390円(100g)、みかん390円(100g)などが手頃。今の時期はみかんなど柑橘系がおすすめとのこと。
ラベイユオリジナルのコーヒー豆を販売する「カフェ・ノ・バール シブヤ西武店」(シブヤ西武B 館地下「ザ・ガーデン」内)は、「ザ・ガーデン」のオープンと同時に店頭で32種類のコーヒーの無料テイスティングを始めた。店名の“Cafe no Bar”は「バールで飲むコーヒー」という意味。同店を経営する朝日食品工業の大上さんは「コーヒー豆は酸化するので、まずしっかりとした商品管理ができる店でなければ豆の販売はできない。無料でテイスティングを実施しているが、試飲には豆の管理やスタッフを含めてコストがかかるし、来店者は試飲の時間を惜しむ人もいる。しかし、コーヒーは淹れ方ひとつで味が変わる嗜好品なので、店頭で丁寧な説明を加えて試飲してもらい、気に入った豆を納得して購入してもらえば必ずリピーターになってくれる」と、テイスティングのポイントを挙げる。
カフェ・ノ・バール シブヤ西武店 TEL: 03-3463-0191さらに、デパ地下の最近のトレンドは“イートイン”スペースの増加。この1~2年の間にリニューアルしたデパ地下には、必ずといっていいほど“イートイン”スペースが出現した。寿司、天丼、中華、エスニック、イタリアン・・・と、様々な料理がその場で、しかもリーズナブルなプライスで楽しめるのが最近のトレンド。ただ、デパ地下である限り、こうしたイートインの隣りには必ず“売り場”が存在する。見方を変えるとイートインは、究極の「有料試食」とも言えそうだ。顧客が自らお金を払って試食をして、味に満足が行けばさらに売り場で商品を買い求める。まさに、マーケティングの進化形態がこににある。
消費者の“こだわり志向”を背景に、自宅で気軽にテイスティング感覚が味わえる商品も誕生している。サントリーが今年6月から発売してりうのが「サントリー特製ウイスキーブレンダーズセット」(8,000円)で、12年もののモルト原酒4種、12年もののグレーン原酒2種にテイスティンググラス2個、メジャー、空きボトル、ラベルシートをセットにしたもの。同セットを購入すると、自宅で手軽にオリジナルブレンドウイスキーを作ることができる。ウイスキーは多彩な原酒を混ぜ合わせることで、個々の原酒より優れた風味を持つ製品を新たに創造することが可能になる。発売は東急ハンズ渋谷店を含め酒類販売免許を持つ新宿店、町田店、江坂店のみの限定販売。自分でブレンドすることがそのまま付加価値となる商品だけに反響は興味深い。
東急ハンズ渋谷店パッケージデザインや商品企画を営む「P-FACTORY」(神宮前)は、代表の水上さんの紅茶好きが高じ、サイト上に「おいしい紅茶の店ディンブラ」を立ち上げ、同時にティーパーティの主催や新茶の紅茶、テイスティング・カップの販売も手がけている。水上さんは「ウチは紅茶を生鮮野菜のように扱っている。気候と時期によって同じ茶園でも出来が異なるので、何月何日の茶葉というように指定し、仕入れるようしている。だからこそ一回一回テイスティングをしてから販売している」と説明する。紅茶のテイスティングは、一般的にはテイスティング・カップに異なる茶葉を約3gずつ入れ、熱湯を注ぎ、フタをし、3分間蒸らしていく。蒸らし用カップを逆さまにして、フタに茶葉を乗せ、茶葉の色や大きさを見てにおいをかぎ、テイスティング・カップに鼻を近づけ、香りを味わうのもテイスティングの楽しみのひとつ。
テイスティング・カップは茶葉の品質を鑑定するために用いるプロ専用の器具。本来マニアックなグッズだが、同社が販売しているテイスティング・カップ・セット(4,900円)は、全国から注文が殺到しているという。「私たちが茶葉を販売する前に実践しているテイスティングやおいしい飲み方を、自分でも確かめたいと希望する人がずいぶん増えてきた。それは自宅で紅茶を楽しむ時間を持ちたいと考えている方が多いということ」と、水上さんは分析する。
おいしい紅茶の店ディンブラ6月15日、青山通りの路面にグランドオープンした「decfive(デックファイブ)」は、“グラスワイン販売世界一”を目指すテイスティングワインブティック&サロン。1階がスタンディングスタイルのワインブティック、2階がワインサロンで構成されている。同店は3月20日に設立したばかりのベンチャー企業「エブリデイワイン」(渋谷)が直営する第1号店。同社代表の吉田さんが開発したワインを酸化させないワインセーバー「Whynot!(ホワイノット)」(特許出願中)を使用し、400種類のグラスワインを楽しむことができる。サイズは50cc、100cc、ボトルでの販売。価格帯は50ccで100円代~4,000円代、100ccで200円代~9,000円代、ボトルで1,000円代~60,000円代。また、ワインバーのみならず、時間や目的に応じてカフェやレストランを兼ね備えた空間としても利用できるのも大きな特徴。フュージョン料理が充実しており、2階では本格的な料理を楽しむことができる。
吉田さんが現在のビジネスを立ち上げるには、ひとつの契機があった。「何かの機会に先輩にワインをご馳走になって、中にひとつだけおいしいワインがあった。あとから聞いたら1本5万円もするワインだった。とてもおいしかったが、それは自分では買えない。その時、思ったのが、ワインをちょっとずつ飲ましてもらったら嬉しいということだった。ワイン業界の人に聞くと、『ワインはすぐに酸化するから、ちょっとずつは飲めない』という返事ばかり。だったら、自分でやってみようと思った」。吉田さんは1999年にワインセーバー「Whynot!」の原型を開発し、特許を申請する。「Whynot!」は、独自に開発した専用コルクチェンジャーによって、コルクと専用プラグを空気にふれさせずにチェンジすることでワインを酸化させないワインセーバー。これを使用することで、ワインの命であるテイスト、香りを失うことなく、1本のボトルからいつでも栓を抜きたての状態でグラスワインを提供することが可能になったのである。既存のレストランではグラスのサービスの場合、酸化によるロスを損出コストとして顧客に価格負担を強いるケースが発生していたが、同社では酸化ロスがないため低価格でグラスワインを提供できる。吉田さんは「“Whynot!”があって初めて店舗がある。“Whynot!”の素晴らしさを証明するためにも店舗の開業は当初より予定していた。多くの人が反対する中で信念を持って会社を立ち上げた。あとは走るしかない」と、意気込みを見せる。
エブリデイワイン decfive TEL:03-5774-5077テイスティングは、専門の商品知識を持ったオーソリティーとのセットで行われている。見方を変えれば、商品に対する自信とプロの知識があってこそ成立する店頭プロモーション。テイスティングは、スタッフ教育やテイスティング用の商品の仕入れなど、相応にコストのかかる作業でもある。それでも敢えてテイスティングを実施するのは何故か。本物志向を持つ大人の消費者は「中身のわからないもの」を安易には購入しない。しかもテイスティングは、商品の産地、味わい方、予備知識などプロのアドバイスがあって初めて成り立つ特別なコミュニケーションのため、潜在客との関係づくりにも有効だ。単なる「試食・試飲」にとどめず、どこまでエンタテイメント化できるかも知恵の絞りどころだ。
顧客に商品の価値を確実に伝え、商品(または店)のファンを増やし、結果としてリピーターを生み出すこの古典的な販促アプローチは、「有料化」というオプションと「エンタテイメント」という演出感を加え、成熟化したマーケットに対する有効なプロモーション手法として見直されている。