現在の「渋谷駅」周辺はすり鉢状の底にあたる部分にある。道玄坂、宮益坂、公園通りなど、周囲を坂に囲まれた渋谷駅周辺は、今でも降雨量が多い時には水が溜まりやすい。地形学的には、「渋谷川」水系により侵食してできた小さな樹枝状の谷を基本に6つの台地と約20の河谷が複雑に入り組んだ地形が、現在の渋谷区を形成している。「♪春の小川は さらさら行くよ」で始まる童謡「春の小川」は、こうした河川のひとつで「宇田川」の上流部に当たり、現在の代々木八幡の近くを流れる「河骨川(こうぼねがわ)」がモデルになっていた。理由は、この童謡を作詞した高野辰之氏が当時この付近に住んでいたからとされているが、この曲が発表された大正元年(1912年)は、「れんげの花が咲き、エビやメダカが泳いでいたことの証でもある。
もともと「渋谷川」には宇田川、新宿御苑や明治神宮の池などが流れ込んでいたが、高度成長期などに続々と蓋(ふた)がかけられ次々と暗渠化(あんきょか)されていった。その中のひとつ「キャットストリート」には東京オリンピックを契機とする1961~1964年頃、蓋がかけられ、1966年に川としての利用が廃止された。現在の「渋谷川」は宮益坂下の宮益橋から天現寺橋までの延長約2.6キロで、その先は「古川」と名前を変えて東京湾に流れ込む。ちなみに、大正期の渋谷川周辺は「渋谷川工業地帯」と呼ばれ、中渋谷から下渋谷にかけて、電球・電気製品・ゴム製造業などの工場が建ち並んでいたが、都市化の中で次第に「渋谷川」は忘れられた存在になっていく。
渋谷川を取り巻く環境に微妙な変化が生まれたのは2001年秋頃だった。2001年10月、渋谷川と並行して走る東急東横線の高架下に突如おしゃれな飲食空間が出現した。カフェ「Planet 3rd」やラウンジ「Secobar」を含む複合飲食空間の「Shibuya Underpass Society」だ。それまでは、比較的未開拓だったこのエリアにおけるカフェの出現はまさに新鮮だった。「Secobar」ではJ-WAVE「e-STATION BB」とのタイアップによりLAVAプロデュースによる日本人ボーカリスト発掘プロジェクトの一環でオーディション型クラブイベント「Hanumahn(ハヌマーン)」が行われ、12月5日には初の企画アルバム「EIGHT GIRLS」が発売される。
Shibuya Underpass Society同じ2001年10月、地域通貨「アースデイマネー」が誕生する。「アースデイ」とは1970年にアメリカで始まり、現在は世界180カ国以上で開催される世界最大の環境の祭典で、2001年の「アースデイ」の日(4月22日)に「その日、一日だけのイベントに終わらせてはいけない。毎日がアースデイにならなくてはいけない」と、音楽家であり環境活動家である坂本龍一氏が言った言葉を契機に「アースデイマネー」のアイデアが着想された。通貨単位は「r(アール)」で、「Planet 3rd」を含む渋谷川沿いのカフェなどで使える「おカネ」としてスタートした。同マネーを運用するNPO法人「アースデイマネーアソシエーション(以下edma)」では、渋谷川を軸にした流域エリアを「春の小川コミュニティ」と呼んでいる。
地域通貨とは、日本円や米ドル、ユーロなどと異なり、ある特定のコミュニティの中で、お互いにものやサービスのやり取りをするときにのみ使われる交換手段で、ここ数年、国内各地でも地域通貨の導入が進み、今では350を超える地域通貨が全国で発行されている。一般的に地域通貨は文字通り、一定の域内で使えるのが原則だが、アースデイマネーは今、域外でも使用できる環境づくりに取り組んでいる。例えば、渋谷で手に入れた「r」は、山梨県の山中湖ではペンションで宿泊費の2割まで受け入れられるなど、ちょっとしたトラベラーズチェックとして機能し始めている。また、農村体験ツアーに参加すれば、農村で農作業を楽しみながら「r」を手に入れることができたり、農産物を渋谷のカフェに卸し代金の一部として「r」を手に入れたりできるなど、都市と農村の交流を促進する新しい試みも行われている。
「アースデイマネー」も、今年10月には3年目に入るのを機に「version03」へ進化を遂げた。「version03」のテーマは「オープンマネー宣言」で、渋谷発の地域通貨が日本各地や世界で使える通貨を目指すもの。流通エリアの拡大に伴い紙券デザインも一新され、日本ユニシス・サプライの協力により本格的な偽造防止処理が施された。また、11月9日には、渋谷駅東口のカフェ「ガボウル」内の一角、約5坪の空間に「アースデイバンク本店」と名付けられた情報拠点が設けられた。edma代表の嵯峨さんは「渋谷発、日本全国で使える社会貢献通貨を目指したい」と話す。
アースデイマネーアソシエーション省エネルギーをテーマにした「ピースフルエナジー」も、渋谷川流域を拠点に活動するNPO法人のひとつだ。毎月1回、渋谷川に面したカフェ「アンテナ」では「春の小川キャンドルナイト」と題して、店の電気を消し、キャンドルの灯りで音楽や会話などを楽しむイベントを開催している。こうした時間を共有することで、ひとりひとりの消費電力が小さくなることを実体験するもので、30人いればひとりあたりの消費電力が1/20になるという。ちなみに今月は23日、19時から開催。同時に2001年、大林宣彦監督の映画「なごり雪」の舞台となった大分県・臼杵の竹灯籠100本による渋谷川のライトアップも予定されている。さらに、同日の15時からは同じくカフェ「アンテナ」を会場に、「エネルギーダイエット講座」が開講される。月々の光熱費を減らすことが環境貢献につながることから、今回は「電気代を少なくする冬の暖房方法」についてのレクチャーが行われる。会費は300円またはアースデイマネー300r+お茶代(実費)。
ピースフルエナジー2003年4月、「渋谷川を春の小川に」というテーマのもと、渋谷川沿いのエリアを舞台に「川遊び×SHIBUYAscape」というアートイベントが開催され、様々なアーティストたちの作品展示により、渋谷川が演出された。これに先駆けた2~3月にかけては、渋谷駅を中心にした半径2キロ圏内のエリアで「20年後に残したいもの、残したくないもの」をキーワードにフィールドワークも行われた。主催の「川遊び実行委員会」の代表を務めるグラフィックデザイナーの長内さんと渋谷川との関わりは、アースデイマネーアソシエーションのスタッフとして渋谷川を様々な角度から調べていったことから。武蔵野美大出身の長内さんは「渋谷には多くの人が集まるのに、渋谷川の存在はほとんど知られていない。アートを通じて、まずその存在を多くの人に知って欲しかった」のが契機となり、イベントの実現に結びついた。「川遊び」というキーワードは、誰でも参加できる「わかりやすさ」や「敷居の低さ」が伝わるようにと長内さん自身が名付けたものだ。長内さんは、来春のアースデイに合わせて2回目となる同イベントを構想している。
川遊び×SHIBUYAscape長内さん自身は、このイベントを通じて、内外の「川」プロジェクト関係者との交流が生まれた。韓国・ソウル市関係者が視察を目的に訪日した際も、連絡があって面談したという。同市繁華街を走る「チョンゲチョン(清渓川)通り」という大きな通りには、以前は川に蓋をして高速道路が走っていたが、現ソウル市長が「川に戻す」ことを決め、すでに高速道路の撤去工事を進め、2005年には川が蘇り、親水公園が誕生する予定になっているという。ちなみに、復元前と復元後の仮想鳥瞰図はWEB上で日本語でも閲覧が可能だ。長内さんは「日本ではまだ実現性が低いが、やればできる見本が隣の国で実現していたことに驚いた」と話す。
清渓川復元事業(日本語)2002年5月、NPO法人の認可を受けた「渋谷川ルネッサンス」の代表は旧・建設省の元河川局長だった尾田さんが務める。自身も神宮前に住む尾田さんは退官後、あくまでも一市民として、「渋谷川を春の小川に戻そう」と立ち上がった。尾田さんの提案は「今の渋谷川で採用されているコンクリート3面(左右と川底)張りは最も安上がりの治水対策だが、自然の川には相応しくない。この3面張りをすべて取り払い、さらに蓋を外して渋谷川を再生し、川の下に洪水対策のトンネルを設ける」というものだ。先の韓国の例を含めて、海外では川にかけられた蓋を外す例も少なくないという。一見、大胆な発想にも映るが、河川行政の頂点に立ち、水系を熟知した専門家の意見として相応の説得力が込められているだけに、尾田さんの言動は注目を集める。
尾田さんは来年3月に代々木で開催を予定している「都市河川フォーラム」開催に向けて準備を進めており、こうしたイベントを通じて渋谷川への関心を高めていく構え。尾田さんは「川を捉える視点が街を作り、街を捉える視点が川を作る」と加え、渋谷の今後にとって渋谷川の存在がいかに重要であるか説いている。
渋谷の地形そのものを形成してきた渋谷川は、高度成長期には効率性の問題から蓋がかけられ、コンクリートによる護岸工事が進み、その存在すら忘れられていた感があった。しかし、環境問題への関心の高まりを背景に、2001年頃から一気に渋谷川に対する関心が高まった。そこでは複数のNPOや市民団体が活動を続けているが、昔の「春の小川」に戻すことをミッションに掲げる点は不思議とすべて共通しており、「住民のみならず来街者にもその存在を知って欲しい」と口を揃える。異なるのはそのアプローチ方法。地域通貨を介在させた清掃活動やアートによるイベント活動、或いは行政に対するロジカルな働きかけなど、各様の得意ジャンルを活かして活動を続けており、こうした立体的なアプローチにより、その存在もじわり浸透し始めている。渋谷は川と共存する街であることを再度見つめ直すことは、渋谷の未来を考えることにもつながりそうだ。