渋谷東エリアの歴史とまちの変遷を地図からたどる単行本「地図で見る渋谷東のあゆみ」(アルファベータブックス)が6月6日、7月に開業する大型複合施設「渋谷アクシュ(SHIBUYA AXSH)」(渋谷2)の竣工を記念して発売される。
同書でいう「渋谷東」は、キャットストリートから渋谷駅、恵比寿方面に流れる渋谷川の東側、北は「穏田神社」、南は国学院大学近くの「氷川神社」、東は「青山学院大学」までの地域。江戸時代から現在までの地図の変遷をたどりながら、渋谷東の村や町、人々の生活などの変化の様を、時代を追って紹介する内容となっている。
執筆・編集を手がけたのは、渋谷アクシュの再開発事業を進める渋谷二丁目17地区市街地再開発組合理事長の南塚信吾(みなみづか・しんご)さん。1956(昭和31)年、中学3年生で富山から上京した南塚さんは、渋谷区金王町(現、渋谷2丁目)で和裁教室を営む叔母の家で暮らし始める。1961(昭和36)年には、その家を「渋谷アイビスビル(旧南塚ビル)」に建て替えた。上京時について、南塚さんは「東京の中心に比べて、渋谷は空襲を受けた富山と同じく、それほど驚く街ではなかった」といい、戦後の面影を残す当時の渋谷のまちを振り返る。
その後、日比谷高校を経て東京大学に進み、ハンガリー史を専門とする歴史学者として活躍。現在は千葉大学・法政大学の名誉教授で、世界史研究所の所長を務める傍ら、東急や塩野義製薬など6社で推進する同再開発事業の地権者の一人であり、同組合の理事長も務める。
竣工に合わせて同書を出版する背景について、南塚さんは「渋谷アクシュは渋谷と青山をつなぐハブの役割を担い、長年の課題だった縦の分断を解消するが、実は縦だけでない。もともと渋谷2・3丁目は、金王町として金王八幡宮から宮益坂までつながっていたが、高速道路建設でまちが横にも分断されてしまった」とし、同書を通じて、「渋谷東の歴史や課題を理解してほしい」という。
江戸時代の地図(絵図)には、東京農業大学を経て青山学院になった伊予西条藩・松平家、都電青山車庫を経て国連大学、こどもの城になった山城淀藩・稲葉家などの大名屋敷や、金王八幡宮や氷川神社、宮益坂など現在も残る寺社・地名が見られる。「中世まで、金王八幡宮をはじめ渋谷城を中心にしていたまちは、江戸時代に大山街道(宮益坂)側へにぎわいが移っていく」とし、時代ごとにまちの中心が変化していく様子が分かるという。一方、「常磐松町、金王町、美竹町、宮下町など、かつて使われていた町名が失われたのは非常に残念」とも。
渋谷アクシュの開業に伴い、隣接する渋谷ヒカリエ、渋谷クロスタワーとつながる歩行者デッキの供用が始まる。今まで幹線道路に阻まれてきた「横の分断」はやや解消され、かつて一帯的につながっていた宮益坂から渋谷3丁目方面への移動に変化が生まれる。
「単なる新しい商業施設ができるという話ではなく、まちの歴史を踏まえたまちづくりを意識することが、とても大事。若者でにぎわう道玄坂方面に対して、東側はちょっと違う雰囲気のまち。爆発的なエネルギーはないが、ちょっと大人で文教的なまち、そしてイノベーションも生み出せるまち」と、今後の「渋谷東」のまちの変化に期待を寄せる。
仕様はB5判、64ページ(オールカラー)。価格は1,800円(税別)。