東京2020オリンピック(五輪)聖火リレーは7月22日、渋谷区内を走る予定だった聖火ランナーによる「点火セレモニー」が行われた。
日本代表する女子卓球選手の一人で渋谷区名誉区民の栗本キミ代さん
翌23日の五輪開会式に向け今月9日に始まった都内での聖火リレー。渋谷区は当初、渋谷駅前や表参道、代官山などのエリアを走り目黒区と港区をつなぐ予定だったが、新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ公道での走行は中止となった。代々木公園内では区立中学校の生徒がサポートランナーとして走行、ミニセレブレーション会場では国学院大学の応援団が応援を、それぞれ行う予定だった。
この日は、芝公園(港区)で目黒区・港区と共に点火セレモニーを行った。セレモニーは無観客となったが、ランナー1人に対し家族など関係者が4人まで来場した。
セレモニー前には長谷部健渋谷区長も登場。ボランティアスタッフらに感謝の言葉を述べつつ、「走行することを心待ちにしていたランナーの皆さん一人一人の思いを聖火に込めてトーチキスをつなぎ、選手へエールを送り、メッセージを世界に発信していただきたい」とあいさつ。1964(昭和39)年の東京五輪の開会式を祖父に見に行ったという斎藤竜一渋谷区議会議員は「立場は変わったが、2度目の東京五輪の点火セレモニーに参加でき感無量。夢と感動の大会になることを願う」と続けた。
セレモニーでは、聖火をトーチで受け渡す「トーチキス」を実施。長谷部区長からの点火を受けた、平昌冬季五輪フリースタイル男子モーグル銅メダリストの原大智さんを皮切りに、渋谷区民や、日本が不参加を決めたため出場がかなわなかったモスクワ五輪代表に選ばれていた9人で構成するグループランナー、日本を代表する女子卓球選手の一人で世界卓球殿堂入りも果たした渋谷区名誉区民の栗本(旧姓・松崎)キミ代さんら37人が参加。1964(昭和39)年の東京五輪でも聖火ランナーを務めた星憲さんが「最終ランナー」として港区に聖火をつないだ。
栗本さんは「そんなに緊張せずに楽しくやれた」と振り返りつつ、「期待は金メダル」と卓球日本代表の活躍を願った。自身2回目の聖火ランナーとなった星さんは、小雨の中走ったという前回の聖火リレーを回顧しつつ、「非常に名誉なことをさせていただいた。今回、心臓弁膜症で先日退院したばかりで、命をもらい、皆に励まされ、いろいろな方が応援してくれた」と感謝の言葉を口にした。
国学院大学出身で「学生時代から渋谷がホームだった」という武藤将胤(まさたね)さんは、筋力が徐々に低下するALS(筋委縮性側索硬化症)と闘っている。「本当なら渋谷を爆走したいと思っていた」と公道でのリレー中止を心残りにしつつ、「どれだけ体の自由が奪われようと、テクノロジーの力を駆使して僕らしく挑むことがALSやさまざまな障害と戦う仲間に生きる希望を届けるメッセージになると思った。全ての人の人生にきっと限界なんてないと希望のエールが届くように」とメッセージを発信した。
聖火ランナーのユニホームなどをディレクションしたファッションデザイナーの尾花大輔さんは、ユニホームの最終サンプルを確認したのが1年半~2年前で、コロナが流行したことで「(自身も)走ることなく、ユニホームを手にすることもなくお蔵入りになると思った」と言うが、会場でユニホームを手渡された際に「味わったことがない不思議な気分になった」と振り返る。「細かいところは見られていないが、透け感もだいぶなくなり、指示していたサイズ感で120点。プロダクトチーム、ありがとう」と感謝の言葉を口にした。「ユニホームをアレンジして着る選手もいると思うので、どんなファッションで大会に挑むかは気になる」と、独自の視点で五輪を楽しみにしている様子もうかがわせた。
渋谷区民でフィギュアスケーターの住吉りをんさんは「聖火も五輪もあんまり身近ではなくぼんやりした存在だったが、今まで以上に五輪が身近になった。フィギュアスケーターとして冬季の五輪に出場したいという気持ちが前より強くなった」と言い、「北京には間に合わないと思うが、その次の五輪までに経験を重ね技術を上げて、五輪に出られるだけの実力を付けたい」と意欲を見せた。
原さんは「(聖火ランナーとして)区から推薦を受け『よっしゃー!』と気持ちが舞い上がった」と振り返りつつ、「選手として五輪に出場する時は緊張とプレッシャーがすごかったので、(今回は)緊張しなくてすむ。見る側として、選手たちに聖火をつなげる感じで客観的に見られて楽しい」と笑顔を見せた。北京五輪への出場を目指しているが、「半年しかないがそこに全力を掛けたい。銅メダルは持っているので金メダルが欲しい」と意気込み、同じアスリートとして東京五輪に出場する選手に対し「地元開催となると自分にもプレッシャーを掛けてしまうと思うが、それに押しつぶされずに全力を出せることを願っている」とエールを送った。