Bリーグ・アルバルク東京(以下、A東京)の正中岳城(しょうなかたけき)選手が6月11日、オンラインで引退会見を行った。
1984(昭和59)年兵庫県出身の正中選手。2歳年上の兄の影響で、小学5年の直前にバスケットをはじめ、青山学院大学時代は3年時に「全日本大学バスケットボール選手権記念大会(インカレ)」準優勝に貢献、アシスト王にも選ばれた。卒業後の2007(平成19)年にA東京の前身、トヨタ自動車のバスケットボール部「トヨタ自動車アルバルク」に入団して以降、13シーズン在籍。Bリーグ開幕後はアマチュア契約として、トヨタ自動車からトヨタアルバルク東京に出向しプレーを続けていた。
5月14日、コーチらと面談したタイミングで「できることは何も残っていない」と感じたことなどから引退を決めたという。今月9日に引退を発表すると、クラブのSNSにはファンらから「お疲れさまでした」「献身的なプレー忘れません」「第二の人生頑張ってください」など労う言葉が寄せられ、同じくBリーガーからは、「同期がと思うとなんとも形容し難い気持ちに」(三遠ネオフェニックス・太田敦也選手)、「行動す全てがかっこよかった」(千葉ジェッツ・藤永佳昭選手)、「ファンでした」(川崎ブレイブサンダース・藤井祐眞選手)などのコメントも見られた。
正中選手は冒頭、「チームを離れるには思い出がたくさんあり思い入れも深いが、選手として全うした、もう差し出せるものは何もないくらい、全てを出しやり切った」と晴れやかな様子を見せ、「毎シーズンをかけがえのないシーズンとして多くの方々と戦い、生涯忘れることができない瞬間に巡り合い、素晴らしい時間を共にしたことに感謝申し上げたい」と感謝の言葉を述べた。
チームメートには「順番に深い意味は無い」としながらも、同期の菊地祥平選手や竹内譲次選手らから順に引退を伝えたと言い、「お疲れさん」「もう少しここで(=現役として)頑張るから」など「力強いメッセージをもらい、僕自身もまだまだやらなきゃいけないという思いになれた」と振り返る。
13年間プレーを続けられた要因として、「いつ終わってもおかしくない世界なので、一日一日を大切に、後悔しないようできることをその日のうちにやりきる思いを持っていた」ことや、「チームの求めるものを果たせる役割であろうとずっとやってきた。いろいろなことが起きるシーズンの中で、常に試合に出られる準備をしてきた」ことを挙げた。家族の支えも「もちろん大きかった」と言い、「やりやすいようにやらせてもらえた。ありがとうと伝えたい」と続けた。
JBL、NBL、Bリーグと、さまざまな形態のリーグでプレーをしてきたが、る」と言い、ルーキーイヤーで初めてプレーした試合や、同年の天皇杯優勝、2016(平成28)のBリーグの開幕戦、リーグ優勝を果たした経験などが「強烈な印象に残っている出来事」と振り返った。
渋谷にキャンパスを構える青学大、渋谷をホームタウンとするA東京と渋谷にゆかりのある選手でもあった。渋谷を「育ててくれた街」と表現した正中選手は、「Bリーグになった時にサンロッカーズ渋谷が、青学大の記念館をホームコートにしたことで、そこでプレーする機会を与えていただいたことが本当にうれしかった。渋谷という街に戻ってこられて、仕事としていることを発揮できる場所を与えられてうれしかった」と言う。「渋谷はバスケットにおいて特別な場所だったが、来たら必ず学生時代やバスケットを思い出す。これからも特別な街であり続ける」と思いを語った。
10年間キャプテンを務めた正中選手だが、「僕自身特別大きなことをやったわけではない」と謙虚な姿勢を見せ、「今のチームにはたくさんのリーダーがいる。全く心配していない。チームをより良い方向に導いてくれると思うので、また新しいアルバルクが見られるのを楽しみにしている」と言う。新型コロナウイルスの影響でスポーツ界全体が厳しい状況にあることに触れ、「チームが戦績を残すなど今までのように取り組むことはもちろん、あらゆることに気を向けて新しい勝ちや、チームの成長を見据えながら取り組んでいってほしい」と期待を込め、「助けとなれることは果たしていきたい」と話した。
正中選手は7月1日付けでトヨタ自動車に復職し、渉外広報本部に配属される予定。引退を決めた日が「再出発の日、すでにチャレンジが始まっている」と前向きで、「学ぶ気力とチャレンジしたい思いがあれば、どのような場でもできると思う。学んで高めていきたい意欲があるので、新しいことをできる気持ちでワクワクしている」と話した。一方、バスケットの現場に戻りたい思いも持ち合わせ、「プレーもしたいし、教えたい、(何かしら)関わりたい。あらゆる可能性を信じて競技を見つめていきたい」とも。
時期や形式などは未定だが、ファンに向けたセレモニーも検討している。