Bリーグ・サンロッカーズ渋谷(以下、SR渋谷)が1月29日、千葉ジェッツ(同、千葉)と戦った。
世界のバスケットボールファンに衝撃を与えた、元NBAロサンゼルス・レイカーズ(レイカーズ)のスター選手であるコービー・ブライアントさんの突然の訃報以降、初の試合となったこの日。試合前には両チームの選手たちや集まった6200人以上のファンたちで、ブライアント選手の背番号にちなみ24秒の黙とうを捧げた。
SR渋谷には、ブライアントさんと一緒に、3年レイカーズでプレーしていた経験のあるライアン・ケリー選手が所属している。ブライアントさんの訃報が日本に届く数時間に行われていた試合で、ケリー選手は24分24秒出場し、24得点を挙げていた。「見た時に、正直驚いた。運命というのか、どういう言葉で表現するのか分からないが、特別な気持ちになった」と振り返る。
この日、ケリー選手は「感謝、敬意」を込めたほか、チャールズ・ジャクソン選手、ファイ・サンバ選手、渡辺竜之佑選手、山内盛久選手もブライアントさんモデルのバスケットボールシューズ(バッシュ)を履いた。チーム内で「話はしていない」と言うが、「それだけバスケットボール選手に影響を与えた」と山内選手は話す。
「コービーのプレーを見てきた時間が長いし、勉強もした。(影響は)自分のバスケット人生の中に絶対にある。面識も無いし生で見たこともない。直接的な関わりは無いが、彼のマンバメンタリティーは、一緒にプレーしていたロブ(=昨シーズンまでSR渋谷に所属していたロバート・サクレさん)やライアンが受け継いで、自分たちにも伝えてくれている。しっかりシューズを履いて、リスペクトを形で表したい」と思いを込めた。山内選手は加えて、バッシュの左足に「Mamba 4 Life(マンバよ、永遠に)」、右足に「R.I.P. KOBE & GIGI」と書いた。「GIGI」はブライアントさんと一緒に亡くなった次女のジアーナさんの愛称で、自身も子を持つ親として、「同時に2人も失うのは、すごくつらい。娘さんのことはあまり知らないけれど、その思いをアピールできたら」とも。
試合は、外れはしたが「いくつかあるオプションの中でオープンになった」ケリー選手の3ポイント(P)シュートで幕を開けた。SR渋谷はジャクソン選手がインサイドで強さを見せ得点を重ねたのに対し、千葉は3Pを高確率で決め立ち上がりは互角の戦いを見せた。第2Qにはケリー選手の3Pアテンプト(試打)が増えたほか、ルーズボールに飛び込むなど戦う姿勢も見られたが、「疲れも見られ、(ディフェンスの)足をもう一歩前に出させられなかった」(伊佐勉ヘッドコーチ(HC))と千葉の攻撃を止められず、追う展開となる。
第3クオーター(Q)には関野剛平選手や杉浦佑成選手らの3Pも決まり出したが、「いいオフェンスができていなかった」(ベンドラメ礼生選手)とリバウンドから千葉が得意とする速い展開をつくられ、山内選手は「勢いに乗せたくない、ディフェンスの強度を上げられたら」とファウルを使いながら千葉の攻撃を止めようと気を吐いたが、徐々に点差が離された。終盤は、今週末にも試合を控えていることからケリー選手やベンドラメ選手など、エース陣を「休ませた」。代わって司令塔としてコートに立った盛實海翔(もりざね・かいと)選手はミスマッチを生かし3Pを決めたりドライブを仕掛けファウルを誘発したり、積極的にプレーしたが「あのような形で最初から攻められたら」と悔やんだ。試合は83-91で敗戦となった。
ケリー選手は「本当にショッキングな出来事で、ここ数日は人生がいかにはかなく、簡単に壊れてしまうというかを感じている」と胸の内を明かしつつ、「今日の試合は勝ちたかった。コービーは常日頃、全てのポゼッション(攻撃権)をしっかり戦い抜くこと、プロはそうあるべきだと言っていた。勝ちにこだわることがコービーから受けたマンバメンタリティー(マンバはブライアントさんの愛称で、競技に取り組む姿勢)だったが、今日はそこが足りなかった。また思い出してやっていきたい」と意欲を見せた。山内選手は「(訃報後)さまざまな報道で、『プロはプロらしくプレーしろ、まずはそこが第一だ』といろいろな選手が言っているのを見たので、自分のできることをしっかりやろうと思った」とも。
伊佐HCは「アメリカから来てくれているケリー、カイル(・ベイリーアシスタントコーチ)、ジャクソンも皆心を痛めている。特にケリーは一緒にプレーもしていたので、本人は明るく振る舞っているが元気がない感じはしている。コービーは競争することが好きだったので、僕らも競争していこうとは伝えた」と話した。
SR渋谷は次節2月1日・2日、ホーム青山学院記念館(渋谷区渋谷4)で琉球ゴールデンキングスと戦う。