西洋人の描いた日本地図を紹介する企画展が3月23日、東急本店に隣接する複合文化施設Bunkamura(渋谷区宇田川町)1階のBox Galleryで始まった。
地図情報の調査や製作などを行うゼンリン(福岡県北九州市)が、地図文化の振興を目的に開催。同社が本年度イギリス在住の古地図収集・研究家、ジェイソン・C・ハバードさんから取得した692点の中から、「西洋人が描いた日本地図」の変遷を、目的や背景とともに紹介する。
同展では、16~19世紀に作られた地図約30点を時系列順に展示。最初に展示するのはポルトガル人が渡来するよりも前に描かれたもので、13世紀末に伊商人マルコ・ポーロが日本を「黄金の国=ジパング」として紹介した「東方見聞録」に基づき想像で描かれた「日本図」(ベネディット・ボルドーネ、1528年)。ポルトガル人が渡来後に描かれた「韃靼(だったん)図」(アブラハム・オルテリウス、1570年)には鹿児島や土佐など宣教師が訪れた地名も書かれているが、太平洋が狭くアジア大陸と北米大陸のほぼ中央に日本が描かれている。
「近代日本地図の夜明けと鎖国時代の日本地図」エリアには、現在世界で1点しか見つかっていないという、2年日本に滞在したポルトガルの地図製作者イグナシオ・モレイラが製作した蝦夷を含めた66国を網羅した日本地図(1617年)を展示。地図の持ち出しが禁止された鎖国時代になると、秘密裏に伝わった日本地図を模写したものが作られるようになる。オランダの東方学者アドリアーン・レーラントの日本地図(1715年)は、浮世絵師・石川流宣(とものぶ)の正確さを欠いた「日本海山潮陸図」(1691年)を模写したもので一部間違いはあるものの各国名を漢字で表記している。日本の歴史や自然、生活などをまとめた書「日本史」(1754年)の中には、当時の全容が分かる資料が少なく、「幻の城」として知られる安土城と城下町を一緒に描いた鳥瞰(ちょうかん)図も掲載されている。
最終章「西洋製日本地図」では、長崎の出島に医師として来日した独フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、伊能忠敬が作成した日本地図(伊能図)を模写し持ち出した日本図(1852年)を展示。北海道などを含む日本の正確な地形を世界に広めた。日米和親条約を結んだ米海軍提督マシュー・ペリーの日本遠征記(1857年)には、ペリーが来航前に日本を研究する際に活用したシーボルトの日本図を原図にした地図も収録されていた。
同階ロビーラウンジの壁面には、飾ることを目的に作られた壁掛け地図3点を展示。17世紀のオランダの栄華を表現した地図出版者ヘンドリック・ドンケルが手掛けた「東インド諸島海図」(1664年ごろ)は方位線が書かれた海図で、右端上部に北海道が無い日本地図がひっそりと描かれている。周囲には鮮やかな色使いでアジアやアフリカの風景・動植物なども描かれている。仏ジャン=バティスト・ノラン2世が製作した銅版画の「アジア図」(1785年)は、高さ約1.3メートル×幅約1.4メートルの大型壁掛け地図。地図の周囲には「キリスト降誕」「トロイの木馬」などキリスト教や西洋神話の絵が描かれている。
同社広報の新井啓太さんは「最近の地図は見やすさや分かりやすさなど機能性に特化しているので、その裏にある思いやストーリーが見えにくい。地図は布教活動や政治的背景などから作られた、知識を共有するための道具だった。時代背景をひも解きながら見てもらうと新しい魅力が伝わるのでは」と来場を呼び掛ける。
開催時間は10時~19時30分(最終日は17時まで)。入場無料。今月31日まで。