文学作品に描かれた渋谷の地形 作家・大竹昭子さんが紹介

高低差が分かる標高地形図を使いながら文学作品を紹介する大竹昭子さん

高低差が分かる標高地形図を使いながら文学作品を紹介する大竹昭子さん

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 渋谷の地形が文学作品の中でどのように描かれてきたか――Bunkamuraオーチャードホール内の会場で4月24日、「川と大地の街、渋谷の生んだ文学」をテーマにトークイベント「ドゥマゴサロン第16回文学カフェ」が開かれた。

会場で配られた大竹昭子さん自筆の地図「川と大地の町を歩く」

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 登壇したのは作家・大竹昭子さん。1980年初頭、ニューヨーク滞在中に文章と写真を同時に始めた。小説作品に「図鑑少年」「随時見学可」「間取りと妄想」、写真関係に「彼らが写真を手にした切実さを」「ニューヨーク1980」など。最新刊は「須賀敦子の旅路 ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京」。「第28回Bunkamuraドゥマゴ文学賞選考委員」も務める。

 当日は、渋谷川に沿って渋谷から天現寺橋から古川橋あたりまでのエリアが対象となった文学作品を、スライドを使って標高地形図を示しながら、さらに朗読を交えて紹介。併せて、大竹さん自筆の地図も配られた。

 散策をテーマにした随筆の草分けともいわれる永井荷風の「日和下駄」の中では、古川橋付近の坂の上と坂の下のエッセーがつづられている。大雨が降ると坂の上の屋敷の庭にある池からコイなどが坂の下に流され、坂の下の庶民はこのコイを競って捕らえていたという記述を紹介。当時は土地の高低差が階層差になっていたという。

 大岡昇平は3歳のときに南青山(笄町)に移り住んで以来、広尾、氷川神社近く、渋谷駅近く、宇田川、松濤と渋谷周辺で引っ越しを繰り返した。当時の渋谷での記憶や思い出を「幼年」に記している。渋谷駅近くに住んだ頃、渋谷第一小学校(現在の渋谷ヒカリエ辺り)に入学し、宇田川に引っ越すと大向小学校(現在の東急本店辺り)に転校したという。

 丸谷才一の「だらだら坂」の舞台は道玄坂。最初は坂を上がっていったが、チンピラに絡まれ反撃した結果、2人を殺したかもしれない状況になってしまった主人公。向きを変えて坂を下るにつれて人が増えるにもかかわらず、誰一人、主人公に感心を寄せない。「これはまさに坂道じゃないと成立しない物語。坂の上と下の隔絶感、都市に生きる快感と怖さを坂の街を舞台に書いた点が見事」と評した。

 そのほか、今の松濤公園の近くに12歳から25歳まで住んでいた三島由紀夫の「奔馬」、かつて宮益坂と桜丘町に住んでいた森山大道さんの「犬の記憶」、川崎大助さんの「東京フールズゴールド」、須賀敦子「遠い朝の本たち」を紹介した。

 散歩マニアとしても知られる大竹さんは最後に、「散歩が好きな理由は、想像をかき立てる風景が満ち満ちているから。散歩の時は地図もスマホも見ない。散歩をするのは迷うため。どこに迷い込んでも外国に行くことはない。迷うことを楽しんで散歩してほしい」と呼び掛けた。

「第28回Bunkamuraドゥマゴ文学賞」の発表は9月3日を予定。

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