渋谷・明治通り沿いの商業施設「cocoti(ココチ)」(渋谷区渋谷1)の「東京カルチャーカルチャー」で3月16日、シンポジウム「shibuya1000_010 『シブヤ合戦』」が開催された。
渋谷の「生活文化拠点としての魅力」を発信するアートイベントとして2008年にスタートし、渋谷駅を中心とした公共空間で実験的なイベントを繰り広げてきたshibuya1000。開催から5年を機に、2014年からシンポジウム形式で展開している。
これまでは、漫画家でタレントの浜田ブリトニーさん、渋谷区観光大使である音楽グループ「ホフディラン」の小宮山雄飛さんなど、渋谷を舞台に活動する人たちをゲストに招いてきたが、10回目を迎える今回は渋谷の開発に携わってきた建築家を招き、「私たちにとっての渋谷」をテーマにトークを展開した。
登壇したのは、渋谷駅周辺の開発に長く携わり、新しくなる銀座線・渋谷駅の設計も手掛ける建築家で東京大学名誉教授の内藤廣さん、東急東横線旧渋谷駅跡で建設が進む「渋谷スクランブルスクエア」(東棟)のデザインアーキテクツを担当し新国立競技場の設計にも携わっている建築家で東京大学教授の隈研吾さん、桜丘口地区のデザインアーキテクツを担当する建築家で早稲田大学教授の古谷誠章(のぶあき)さん。今秋開業予定の「渋谷ストリーム」のデザインアーキテクツを務める建築家で法政大学教授の赤松佳珠子(かずこ)さんは欠席となった。
冒頭、あいさつ代わりに「渋谷の思い出」を語った3人と、ビデオレターを寄せた赤松さんは共に幼少期から渋谷に来ていたほか、1964(昭和39)年の東京五輪・パラリンピックに向け丹下健三設計の下で建設された国立代々木競技場のプールやスケートリンクに通っていたという共通点があった。同建築について、隈さんは「ショック(衝撃)を受けた」と振り返り、古谷さんは「建築家になろうと思った一つのきっかけ」とも。
駅のガードレールの下に傷痍(しょうい)軍人がいたことを「渋谷の記憶」として挙げ、「近代どんどん無くなっている『影』をどう残せるか、若者にかっこいいと思ってもらえる『影』をつくるかを考えている」隈さん。建築家・坂倉準三の作品で東横線旧渋谷駅のかまぼこ型の屋根が「一番好きだった」と挙げ、「細い鉄骨を組んで造った『こちょこちょ』っとした手作り感をどう高層ビルに残せるか」という思いから、渋谷スクランブルスクエア・東棟のファサード下部は「幾何学が崩れたような」デザインにしたり、普通は内側に付けるセラミックプリントを外側に吹き付けて見た目を変えたりすることで「こちょこちょ感、ざらざら感を再現したいと思っている」と話した。
古谷さんは「渋谷は地下を開発しても、(高層ビルで)上に上り始めてもハチ公広場(=地上)に人がいる。地下にも地上にも分岐しきらないつながりを維持しているということを増幅しながら再現するのがいいのでは。地上に人が行かなくなるような再開発はだめ」と見解を示し、「『渋谷にしかない』ということをできるのは(高層ビル)低層部。変化している(渋谷の)地形がどういう接点を持って絡み合っていけるかによって、(空中階・地上・地下を)上がったり下がったりしながら歩く楽しみができるのでは」とも。
法律や予算を度外視し「『渋谷で何をやってもいい』と言われたら何をしたいか」という話題に、かつて東横百貨店(東急東横店・東館)屋上と玉電ビル(同西館)屋上との間を往復したロープウエー「空中電車ひばり号」の復活を挙げた内藤さん。「(渋谷スクランブルスクエア・東棟屋上の)展望台から渋谷ヒカリエならできるんじゃない?」と目を輝かせた。
内藤さんは渋谷を「胃袋」と表現。「たいていの物を消化し、ちゃんと栄養にする。それくらいのパワーがある」と言い、「胃が弱くなるはまずいので、健全に保ってどんなものがきても消化できる状態を作ってもらいたい。分からないけれど謎がたくさんあるのが渋谷。分かりやすい街をつくるのはやめて、あえて謎を増やしていくと渋谷のパワーは落ちないと思う。そういう街になってほしい」と期待を込めた。