竹下通り周辺にドミナント展開を図るのは「原宿カフェ・クレープ」。竹下通り中央付近の「ブルーベリーハウス」「エンジェルスハート」、明治通り沿い「ラフォーレ原宿」1F駐車場横の「ストロベリーハウス」の直営3店舗を展開する。約100種のメニューは各店共通だが、竹下通りの2店は10代を多く集めているが、ラフォーレ横の「ストロベリーハウス」は、その立地条件から20代を多く集め、他の2店とは趣を異にしている。同店の特徴は、市販のクレープミックス(粉)を用いず、粉の段階から丹念に練り上げる製法を採用している点。生クリーム、アイスクリームなどもオリジナル品を使用するなど、FC展開しないメリットとして、原材料費に向けるコストは惜しまない。価格は200~580円で、3 店それぞれで一番の売れ行きを示すのは定番商品の「バナナチョコ生クリーム」(380円)。
初出店は1977年。竹下通りのクレープ店1号として「ブルーベリーハウス」を開設する。今のような「売り渡し型」のカウンターの地下には、喫茶店に近い飲食スペースが併設されていた。クレープ自体は以前からケーキショップやホテルのレストランなどに存在したが、1970年半ばころに現在の形がフランスから紹介された。当時は温かい皮にストロベリー、ラズベリー、チョコレートなどのジャムが塗られたタイプが主流。見た目がシンプルだったこともあり、同社も開店時はほとんど注目されなかった。転機となったのは、ある夏の暑い日のこと。アイスクリームに入った「最中」にヒントを得て、クレープに「日本で初めて」アイスクリームを入れてみたところ、爆発的に話題を呼んだ。一転して業績が伸びる中、一方では「温かいもの(皮)に冷たいもの(アイスクリーム)を入れるのは邪道」との非難が噴出。これをかわす意味合いも兼ね、アイスクリームに加えフルーツと生クリームを投入するクレープをメインとする「エンジェルスハート」をオープンさせる。猛暑に登場したこの「アイスクリーム式クレープ」がマスコミにも取り上げられ、同店の名が全国に広がる契機となった。
最近の傾向を同社の広報・青田洋一さんは「歩きながら食べる若者の姿は少し減ってきたようだ。ほとんどが店の前のベンチか、地面に直接座って食べている」と話す。また隣接する競合店に対しては「どんどん誕生してほしい。クレープという『食文化』をもっと根付かせたい」と語る。苦境の時代をアイディアで自ら切り開いた「原宿カフェ・クレープ」の3店は、現代でも脈々と受け継がれるスタイルを確立した「老舗」として君臨する。メニュー構成や店舗形態も「現在のスタイルを守っていく」(同)という構えだ。
原宿カフェ・クレープ原宿のクレープ歴史において、パイオニアとなったのが「マリオンクレープ」。今や「竹下通りのクレープ店」を代表する知名度を誇るが、現在、原宿エリアでの現在の出店は1店のみだが、全国レベルでは直営、FC合わせて全国に80店舗を展開する。
「売り渡す形での販売がもっともクレープの『らしさ』を伝えられると考えた」と同社の常務取締役・寺田亘さんは打ち明ける。同社は1776年10月、当時はまだ駐車場だらけだった公園通りの駐車場の一角に1号店として、1台の小さなワゴン型の実験店舗を設置したのが始まり。現在では主流となった「食べ歩き」が出来るようにクレープを紙でまいて提供するスタイルも、この時が日本で初めての試みだったが、これが見事に時流にマッチする。当時の渋谷には、青山や六本木から「大人のファッション」が流入し始めていた時期だったことも重なり、「型破りな新しい食スタイル」が人気女性誌数誌で取り上げられるなど、同店への取材が殺到した。翌1977年に、現在も基盤となっている店舗を竹下通りに開店する。「その頃から竹下通りは道の両脇にぎっしりと若者向けのショップが立ち並び、クレープを食べながら品定めをして歩くのに最適だった」(同)ことから、一躍「名物」として急速に広まっていく。看板に文字で表示していたメニューをショーケースに切り替えたのも、若者に配慮した策だった。
約80種のメニューのうち、実際に引き合いがあるのは15種前後にとどまる。価格は200~450円で、平均約380円。「バナナチョコ生クリーム」(400円)、「イチゴチョコ生クリーム」(同)は、創業以来不動の人気という。ツナやチーズが入る「甘くないタイプ」もランチ代わりや、ダイエット中の女性の軽食として支持を集めている。ちなみに最近では1位=「バナナチョコ生クリーム」、2位=「バナナチョコカスタード」、3位=「ツナピザチーズ」。「焼き立てを提供する」とする製法は、全店でマニュアルにより徹底されているほか、皮を鉄板で焼き上げるホットクレープでは「200℃で瞬時に焼き上げる」という独特の技法により、皮のサクサクとした食感を生み出している。
寺田さんは「主な客層は10代後半の若者と、その親世代に当たる出店当時にこの通りに来ていた層に二分化している。つまりクレープは『若者だけの食べ物』であると同時に『懐かしい食べ物』としての顔も持つようになった。この循環が続く以上、クレープビジネスは安泰」と眺望する。ちなみに原宿店の1日の来店客数は600人以上を数える。FC店の中には、「原宿マリオン」という名で地方に出店する例も見受けられるように、同社ではクレープの代名詞ともなる「原宿ブランド」と連動しながら、クレープ事業を拡大している。
マリオンクレープ「クレープのようでクレープでない」新感覚のデザートメニューも登場している。「食べ歩き型」を想定したデザートを販売する「Y-HIROO'S」は、竹下通り中程の「原宿アベニュー」内に店舗を展開する。触れ込みは「ハワイからやってきた新感覚デザート」。オープンは2002年11月。同地を選んだ理由を店長・山下さんは「全国から若者が集まるスポットであり、新しいデザートの発信地として最適だと判断した」と話す。
看板メニュー「クレパフェ(CRE PAFE)」は、「クリーミーなフルーツパフェ」という意味。ココナッツ風味のパリパリとした皮に、カスタードクリーム、フレッシュクリームがベースとして入り、フルーツ3種、ソース1種を自由に選択し、好みの「型」が味わえる仕組みになっている。フルーツはストロベリー、マンゴ、キウイ、パイナップル、メロン、ピーチなど12種以上、ソースは6種以上。値段はどの組み合わせでも350円だが、50円でアイスクリーム、チョコチップ、白玉、あずきをトッピングとして加えることもできる。クレープのようでクレープではない「クレパフェ」は、「ニュータイプのクレープ」として既存店との差別化を図っている。
Y-HIROO'S TEL:03-3478-9214元来のクレープは、フランスに端を発する伝統的な家庭料理。現在日本では「デザート」として「クレープ」が位置付けられているが、本家では「食事」として振る舞われる。小麦を生地の材料とする「クレープ」に対して、そば粉を材料とするものは「ガレット」と呼ばれる。発祥地のブルターニュ地方では、前菜も付くコースメニューのメインとして扱われ、シードルやワインとともに「クレープリー」というカフェで寛ぐのが人々の習慣となっている。
1996年に来日したブルターニュ出身のラーシェ・ベルトランさんは、原宿界隈で流行するクレープを「本物のクレープではない」と指摘、1996年、日本初のガレット専門店「ル ブルターニュ」を新宿区・神楽坂に開店した。1998年には「日本流クレープ」のメッカである原宿エリアはあえて回避して、表参道に出店した。この背景にについて、同社マーケティング担当の遠藤かおりさんは「ガレットはランチやディナーで主食となる食べ物。とても食べ歩きできる形でもなければ、若者がデザート代わりに買える金額でもない。そのため落ち着いて食べられる環境を求め、表参道でも1本入った通りを選んだ。この辺りは『偶然通りかかって』の来店客は少なく、店の内容を認知した上で訪れる目的客が多いエリアであったことが念頭にあった」と、差別化の意図を説明する。
メニューは約20種。タマゴ、ハム、チーズ入りが基本で、これにトマトやオニオン、ホウレンソウなどを加えたさまざまなバリエーションがある。タマゴは目玉焼きと「かきまぜた状態」から選択でき、単品価格は900~1,600円。もっとも標準的な「コンプレット」(900円)が売れ筋で、大抵は主食となるガレットにお酒、デザート系のガレットの3点セットでオーダーするという。平日はランチタイム、週末はディナータイムが混雑し、「1組当たり2~3時間は店内に滞在し、『打ち解けた食事』として楽しんでもらっている」(同)と付け加える。
ル ブルターニュマリオンクレープが1976年に公園通りで始めた、日本独自の「食べ歩き」スタイルのクレープは、今や若者の定番デザートメニューとして定着した。クレープが原宿を示す代名詞として長く息づく背景には、それぞれの時代をけん引した若者のファッションとの関連性も見逃せない。77~80年代前半にかけて代々木公園を舞台とした「竹の子族」や「ロックン・ローラー族」など、当時、流行の発信源となった「路上」文化と相性のいい「食べ歩き」スナックとして、全国に伝搬していった。今では、当時の若者が親世代となり、「懐かしさ」需要が加わったというマリオンクレープ関係者の話も興味深い。
竹下通りの既存店でも、「甘い」メニューだけでなく、「甘くない」タイプも若い女性の支持を集めている。個性的な路面店が軒を連ねるファッション・シーンとリンクしながら、クレープ・ビジネスは今や原宿に不可欠なフードビジネスとして定着している。原宿とクレープの甘い関係はまだまだ続きそうだ。