そもそも「立ち飲み」はいつ頃から始まったのだろうか。「dancyu」2002年7月号「居酒屋が好きなんだ」の特集内で次のように紹介されている。「立ち飲み屋の発祥は江戸時代天明年間。酒屋が量り売りをしていた頃、客に味見をさせたのが「升酒」「立ち飲み」の始まりとされる。やがて、腰掛け台を出し、つまみを提供したのが「居酒(いざけ)」と呼ばれ、煮売り酒屋へと発展、屋台までもが登場した」
dancyu (プレジデント社)渋谷駅からほど近い桜丘にあるのが「大衆立呑酒場 富士屋本店」(TEL 03-3461-2128)。南口の「メガネドラッグ」脇の道を進み、右手の看板を頼りにビルの地下1階へと階段を降りると、そこには都内でも珍しく100平米を超える立ち飲み空間が広がる。営業時間は日祝祭日を除く17~21時30分。同店は100年を超える酒屋の経営で、同店自体もこの場所で40年以上を数える。店内は、ちょっと入り組んだ「凹」の字型カウンターがぐるりと囲み、カウンターの内側が厨房という構造。店内にポツンと置かれた1台のテレビから流れるゴールデンタイムの番組がBGM代わりになっているのも風情のひとつだ。
ドリンク類はビール、日本酒、ウィスキーの3種で焼酎はボトルで注文する。ビール大瓶は1本450円、日本酒は埼玉の地酒「寒梅」280円、宮城の地酒「一の蔵」400円の2種類。刺身や天ぷら、漬け物など60種類を超える肴は、200~350円が中心のリーズナブルプライス。立ち飲みに欠かせない定番の「ハムカツ」は200円、「煮込み」は350円、「マグロの中おち」(350円)や「寒ブリ刺」(350円)も人気のメニュー。酒と肴2品でお釣りが来る勘定だ。
同店での支払いはキャッシュオンデリバリー。頼んだ酒と肴が出された時点で精算する。ただし、常連はこの時のお釣りを受け取らず、そのままカウンターにそのまま置いておくの流儀。最初に「今日は1,000円」とか「今日は2,000円」とか決めてお金をカウンターに置いておけば、そこから精算してくれるため、予算オーバーもない。下町風情が漂い、開業以来ほとんど内装も変わらない店内には、40年前の文化がそのまま残されている。変化の激しい渋谷の中にありながら、この店は逆に「変わらないこと」への安堵感が、そのまま居心地の良さを高めてくれる大人の空間にもなっている。
広域渋谷圏の中で「立ち飲み」の激戦区となっているのが恵比寿エリア。元々、恵比寿ビール発祥の地で、ガーデンプレイスにサッポロビールの本社があることなどからビールに縁があり、ここ数年来はオフィス需要が高まり、広域渋谷圏の中でもサラリーマンやOLが多いことが背景にありそうだ。
恵比寿東口に程近い場所にあるのが「梅暦酒店」(TEL 03-3441-8722)。店名通り、同店は昭和29年に同地に創業した酒屋だった。しかしその後、周辺環境が激変し住民が激減、これに伴い同店の売り上げも逓減し始めた。さらに追い打ちをかけるように、JR恵比寿駅に誕生する駅ビル内にアルコール類も取り扱うスーパーの進出も決まり、決断が迫られる。そこで、元々の店舗部分を他のテナントに貸し出し、倉庫だったわずか5坪のスペースを思い切って「立ち飲み」店に切り替える決意をした。「立ち飲み」店舗を切り盛りするのは柳沼裕子さんと恵美子さんの嫁姑の二人。もちろん水商売は初めての経験で、すべて手探りの出発だった。元倉庫の壁には「売り物」としての酒が並び、店内中央には立ち飲みカウンターが設けられ、外から店内が見えるように透明なガラスの窓と扉が設けられた。こうして同店は1997年にオープンした。営業時間は日祝祭日を除く16時30分から21時だが、開店以前も酒屋として営業している。
元来「酒屋」だけあって、酒のメニューには自信を持っている。ビール、ウィスキー、ワインはもちろん、他店より「濃いめ」の焼酎の水割りやお湯割りも、焼酎好きからも評判だ。店内に品書きは見当たらないが、毎日日替わりで一品メニューが出される。内容にかかわらず、すべて280円の均一料金。取材日には「そろそろおせちにも飽きた頃だし、今日はちょっと寒いから」という理由で「湯豆腐」に決まっていた。こうした心配りを求めて「ほぼ毎日通う」常連客もいるが、柳沼さんは「開店以来、ウチは酔いつぶれた客もいなければ、喧嘩も一度もない」と話す。
恵比寿東口はオフィスビルへの建て替えが進み、駅から程近い場所にある同店付近は会社員やOLの通行量が年を追って増えている点も追い風となっている。毎日、店の前を通りかかる際「ずっと気になっていた」が、なかなか店に足を踏み込めなかった会社員の客も少なくない。周辺に外資系企業や大使館もあり、外国人客や女性客が多いのも同店ならではの特徴だ。また、「配達承ります」と書かれた名刺を手渡した常連客から、会社でのイベント時などに突如「配達」依頼が舞い込むこともある。大手やディスカウンターの進出で対応を迫られる酒類専門店が、本来の稼業を生かしながら、サバイバルに成功した好例とも言えそうだ。
駅を挟んで反対側の恵比寿東口には、東京三菱銀行裏手に「縄のれん」(TEL 03-3496-2919)がある。同店は駅前の他の場所で8年営業の後、今の場所に移って20年の老舗だ。ホルモンを刺身や焼き物で食べさせてくれる店で、開店時間の18時過ぎにはあっという間に満員になる。
そんな恵比寿エリアに2003年12月13日、新たな「立ち飲み」屋が加わった。だが、店には正式な名前がまだなく、「立呑」(TEL 03-3791-4194)と書かれた提灯が店頭にぶら下がる。駅前の商店街に面した9坪の店内に「コ」の字型カウンターが配され、外からガラス越しに見える店内の様子に誘われて、早くも周辺の会社帰りのサラリーマンやOLなどで毎日賑わいを見せている。営業時間は17時から23時まで。同店のメインメニューは「モツ焼き」。シビレ、ハツ、レバーなどの上質なモツ焼きを150円・180円で提供するほか、モツ煮込みを350円で提供している。
同店は、恵比寿を核に「松栄」(寿司)、「松虎」(バー)、「松玄」(蕎麦)などを経営するピューターズが手掛けている。既存店とは客単価も大幅に異なる業態に何故同社が挑んだのか。同社取締役の松下孝行さんは「まず、物件があった。物件としては6年間の定期借家契約の物件。そこで、そこで業態として最初はバーなども考えたが、限られた期間内に焼却することも考えた結果、造作に大きな資金を必要としない『立ち飲み』業態になった」と話す。
築30年以上を経た味わいのある物件、店頭のアイキャッチとなっている「立呑」の提灯、正統な「コ」の字カウンター・・・同店は決して目立つファサードではなく、逆に、この地に何年も前からあるような店に映るほど、早くも街に溶け込んでいる。立ち飲み屋は、あくまでも「普段使い」の店が鉄則。狭い商圏の中で、いかに来店を「習慣化」させるかが鍵になる。「立ち飲み」では個性の強い店づくりより、早期に、かつ自然に街に溶け込める「店づくり」がいかに重要かを物語る店でもある。
ピューターズ駒沢通りの「恵比寿南」交差点近くに、スタンディングスタイルのワインバー「Vin Vino(ヴァンヴィーノ)」(TEL 03-3463-8085)がある。オープンは1999年夏。店名は、フランス語のワイン(Vin)とイタリア語のワイン(Vino)を組み合わせたもので、ワイン6~7種やビール、カクテルなどがすべて500円のワンコインで提供する。壁面にはもたれかかっても心地いいクッション素材を使ったり、ワインの空き箱をブロックのように組み合わせて使う可動式のテーブルを活用することで、空間を上手く使っている。このため、店内はわずか5~6坪だが約20人を収容でき、店内が混雑すると外にはみ出すことも少なくない。店長の近藤さんと気軽に挨拶を交わしながら訪れる固定客が後を絶たない。同店利用者の中心客層は30代で、女性の利用客や外国人客が多いのも同店の特徴になっている。
恵比寿のワインバーにも、新風が吹き始めた。2003年5月、恵比寿駅東口に同じくスタンディング・ワインバー「whoopee(ウーピー)」(TEL 03-3444-5351)がオープンした。場所は、まさに「昭和」を感じさせる「えびすストア」の中、魚屋と八百屋の間を入った場所というという一風変わった立地で、元は「肉屋」だったところ。隣接する店舗との仕切りが入り組んでいるが、高い天井高を活かし、照明を落として、落ち着いた空間を生み出している。同店は、代々木上原の燻製工房「寿や」が手掛けるもので、工房の燻製を「気軽に」味わってもらいたいとの思いが背景あった。たまたま見つかった物件が、駅前で、しかも「市場の中」というユニークな立地だったところから、この場所への出店が決まった。
ワインは60種類を揃え、常時20種類のワインがグラスで味わえる。また、当然のことながら工房直送の燻製も充実していて、塩だけで漬け込んだ自家製ベーコンやコンビーフ、ピクルスやレバームースなどを提供する。ドリンク類もスモークもすべて500円のキャッシュオンデリバリーとなっている。客単価は約2,000円で、利用客は20代から60代と幅広いが、中心層は30代・40代となっている。同店スタッフの渡辺さんは「スタンディングの良さはふらっと来て、ふらっと帰ることができるところ。また、店内を自由に動き回るうちにお客さん同士が店で知り合いになるケースが多いのも面白い」と話し、これからも「交流の場」を目指すという。
立ち飲み業態は「セルフ居酒屋」のひとつの形態として、今後、増殖が予想される業態だ。ここ数年、飲食業界でブームとなった「個室系」とは対極にある動きでもある。「他の客とは交わりたくない」という「おこもり」ニーズとは真っ向から異なり、狭い店内で、場所を譲り合い、肩を触れあいながら、他の客と知り合いになることも・・・視点を変えれば、まさにコミュニケーション型の飲食業態と言える。さらに魅力は、その価格帯。「1,000円ちょっと」の客単価は、会社帰りのちょっとした時間を楽しく過ごすには抜群のパフォーマンスを誇り、店側にとってもリピート率の向上につながる。さらに、取材先の「立ち飲み」店からは、共通して「『立って飲む』ため泥酔する客がなく、店内のトラブルがほとんどない」という声も聞かれた。利用客にとっても店で嫌な思いをしなくて済むという安心感をも提供している。
二極化する飲食業界でも、まさに普段使いの居酒屋業態は「セルフ化」へ進むとも言われ、そこで「古くて新しい」業態として「立ち飲み」が脚光を集め始めた。侘びしいコップ酒のオヤジ姿は昔の話。今では、若い層にも新鮮に映り始めた「立ち飲み」は今年、注目の業態となりそうだ。