歴史学や民俗学、考現学、社会学、経済学、地理学など様々なジャンルの学問を横断する形で生まれた「都市学」。大学では人文・社会科学に分類される学問だが、固有の自然環境、時間軸とともに経済活動や政策によって、都市はあらゆる角度から論ずることが可能であるため、「都市学」は多くのジャンルの“クロスオーバー”な学問とも言える。
フィールドワークを通して生まれた論文が「都市学」として認知された発端は、法政大学工学部建築学科の陣内秀信教授(当時は講師)が仲間たちと「東京のまち研究会」を結成し、東京の町並みを研究して歩くフィールド調査を開始した1970年代後半と言われている。1977年、陣内秀信氏が法政大学において自主ゼミとして活動を開始。ヴェネツィア帰りの陣内教授が東京を活動拠点として、新しい街の視点を発見していく。陣内氏が「東京の空間人類学」(筑摩書房刊)でサントリー学芸賞を受賞するなどで脚光を浴び、「東京のまち研究会」が実施した“東京ウォッチング”は、その後のブームへとつながっていく。
都市学がブームになったのは1980年代初頭。原宿に“竹の子族”が登場し、インベーダーゲームがコンピュータ社会の到来を告げた頃、若者が生み出す新たなムーブメントが続々生まれた東京では、大人を中心に“東京再発見”の気運が高まり、アカデミックな「都市学」が普及、「江戸東京学ブーム」「東京論ブーム」が巻き起こった。1985年には博報堂生活総合研究所がマーケティングの視点でまとめた「タウンウォッチング」(PHP刊)が発刊。街からトレンドを読む「タウンウォッチング」の発想はその後、マーケティングのひとつの手法として定着。書名の「タウンウォッチング」は街を探索する行為としてそのまま普通名詞となった。当時「タウンウォッチング」制作チームの中心にいた博報堂生活総合研究所の太田さんは「アカデミックでなく、ビジネス寄りの“経済生態学”という視点でまとめた。当時は、赤瀬川源平さんの『路上観察学』がブームで、ビジネスに寄らずに街を純粋に楽しむ『路上観察学』と、ビジネスのヒントになる『タウンウォッチング』は対極にあったようだ」と話す。同書は重版を続け、マーケティング関連の書籍としては異例の27刷まで刊行された。
一方、「路上観察学」と呼ばれる非学術的・非商業的な遊びにもとづくフィールドワークも1980年代に定着する。街角に残った、役に立たない無用の長物(赤瀬川源平命名「トマソン」)を探して楽しむ「路上観察学」を“純粋芸術”と位置づけるなら、「タウンウォッチング」は経済学をもとにした近代広告の基本となる“マーケティング”であり、「都市学」は博物学的な総合研究であると分類できる。
地方都市でも、横浜学や山梨学、長崎学など、地域の名前を冠した“地域学”と呼ばれる活動が盛んである。全国におよそ80もの地域学があり、それぞれの地方都市で活動を続けている。根底にあるのは、自分たちの住む地域の歴史や文化、産業、自然などを見つめ直し、地域活性化につなげようという「ふるさと創生」「まちおこし」の発想である。著名な地域学としては、「山梨学」(山梨県生涯学習推進センター)、「川崎学」(かわさき市民アカデミー)などがあり、実施団体は行政や大学、市民団体と様々。東京には「江戸東京フォーラム」(住宅総合研究財団)がある。「渋谷学」と時を同じく本年4月から、香川県善通寺市で市と四国学院大・短大との連携により「善通寺学」が開講した。同市の宮下市長も自ら「自治体経営論」などで講師を務める。
4月20日(土)、國學院大學渋谷キャンパスで講座「渋谷学」が開講した。講座担当の主要メンバーで、同大経済学部の三溝助教授は「大学の120周年行事を模索する中で、渋谷に拠点を置く國學院大学が中心となって、渋谷の情報を集積・発信できないかという狙いで渋谷学がスタートした」と説明する。「渋谷学」の試みは、昨秋スタートした「渋谷学研究会」が母体となっている。民俗学や歴史学、経済学などの教員に、渋谷区や東急電鉄関係者が加わり、渋谷についての研究が進められていた。「渋谷の街が重層的に重なり合って発展していく経緯を、地元の國學院大學はずっと見守ってきた。『渋谷学』の開講により、渋谷の大学として存在価値を高めたい」(三溝助教授)と、大学の個性化への寄与も視野に入れた取り組みを目指す。
國學院大學講座「渋谷学」の特徴は、そのユニークな受講スタイルにもある。正規の同大学生と単位互換制度のある他の大学の学生に加えて、一般の社会人も受講ができる。学生には一般教養科目として単位が与えられ、社会人には一定以上の出席を条件に「修了証」が交付される。大学が社会人を対象に公開講座を行っている例はあるが、同じ教室で学生と社会人が受講する姿は珍しい。さらに、学長判断により受講費は無料(資料代のみ2,000円)という点にも、同大学がこの講座に賭ける意気込みを感じる。渋谷らしく一般受講者のプロフィールも多彩で、主婦層や年配層から、ベンチャー企業経営者、広告代理店や出版業等の業界関係者まで幅広い。受講者の最高齢は大正元年生まれで、現役学生との年齢幅約70歳の受講生がひとつの教室で授業に耳を傾ける。受講者の一人で、都内の外資系広告代理店に勤務する女性マーケッターは「代理店的に渋谷は外せない。銀座や青山に比べて、渋谷は時代の中でどこか際立った変な文化が生まれる土壌がある。コギャル文化やビットバレーは、超先端という訳ではないにもかかわらず、いつもエネルギッシュ。こうした土壌の背景に興味があって、講座に申し込んだ」と話す。
前期・後期合わせて全24回のカリキュラムにも工夫が見られる。前期は“過去の渋谷”がテーマで、國學院大學各学部の教授陣により学際的に行なわれる。第1回目の講義のテーマは「渋谷の風水土」。「渋谷川水系による侵食が、複雑に入り組んだ今の渋谷を形成した」という林和生文学部教授の説明に老若男女の“生徒”が聞き入る。後期は、渋谷の現状分析とこれからの渋谷のあり方をテーマに講義が行われる。学外から渋谷区の職員や「まちづくり委員会」の委員、東急電鉄からのゲスト講師陣も予定されている。三溝助教授は「総合的に渋谷を捉え直す上で、歴史的な経過だけをやっても仕方ない。渋谷は大きく変わり続ける街。そういう現状をすくい出すというのは大きなテーマ」と、新しい切り口の「渋谷学」を目指す。
後期の講座には「渋谷はどこだ」と題して“カリスマの街-渋谷の神々”“渋谷は作られる-渋谷の文化”など、フレキシブルな内容を連想させる講座が控えている。大学の講座といえばアカデミックなタイトルが多いが、実際にビジネスを営んでいる広告マンなども聴講することもあって、タイトルにも既成の講座にはない柔軟な感覚が覗く。
「渋谷学」開講には、23区で江戸川区と並んで“郷土資料館”を持たない渋谷区との連携という側面も見逃せない。國學院大學のすぐ隣にある「渋谷区立白根記念郷土文化館」が、郷土資料館の役割を果たしているものの、民家を転用したものであり機能は不十分。郷土資料館の不在が渋谷の歴史的資料の収集を妨げる一因になっていた。横浜学が「横浜歴史資料館」や「開港記念館」の建設を機に発展したように、各地の地域学の発展を促進する拠点として、郷土資料館の存在は欠かせない。國學院大學の「渋谷学」は、将来の区立郷土資料館開設の動きとも連動する。
区政70年を迎える渋谷区も「渋谷学」に協力している。社会教育課の二見(ふたみ)さんによると、渋谷区が後期の講座を告知するポスターの作成を担当し、東急線の各駅で掲示の予定。また、後期のカリキュラムに区職員がゲスト講師として登場する計画もある。先の「白根記念郷土文化館」に関して渋谷区では「建て替え改装の準備中」という。
渋谷区役所 白根記念郷土文化館「都市学」は、自分たちが住み、ビジネスを営む街のことをもっと知りたいという欲求から誕生した。「渋谷学」もまた、多様な価値観を持つ人間が集積する渋谷を知るために設けられた科学のテーマでもある。多様な価値観を貪欲に受け入れ、重層的な構造を形成してきた渋谷が今、科学的なアプローチで自らの検証に着手した。これまで情報発信一辺倒の渋谷の構造が、学問的・体系的に明らかにされようとしている。“若い人に人気のある街”と言われながらも、一言で語り尽くすのが難しい渋谷こそ、都市学的研究の意義は大きい。
「過去を知ることは未来を創造すること」と言われる“都市学”のニューフェース=「渋谷学」は、未来の渋谷に向けた「道しるべ」となるのだろうか。