1961年(昭和36年)、渋谷センター商店会が組織された。渋谷センター街の「センター」は、山手線をはさんで反対側の宮益坂と道玄坂に挟まれた間の商業エリアということに由来する。渋谷センター街入り口付近にあるのが渋谷西村。同店は1910年(明治43年)、文京区小石川で創業した。万惣、千疋屋總本店、新宿高野と並ぶ老舗だった同店は1935年(昭和10年)、現在の場所に店を構え、その後ここを本店とした。現在は2階でフルーツパーラーを手掛け、1階で果物の小売りを行っているが、昨年10月、10年ぶりに大規模なリニューアルを行い、イートイン可能なフルーツカウンターを設け、フルーツジュースやカットフルーツ、ジェラートなどを提供している。リニューアルには「若い人の生のフルーツ離れがあるので、フルーツカウンターを設けて、若い人に少しでも生のフルーツを味わう機会を提供したい」(西村専務)という背景がある。
渋谷西村パルコ・パート1裏手から井の頭通りへと下る坂道に「スペイン坂」と名前が付いたのは1975年(昭和50年)。1978年(昭和53年)には東急ハンズがオープンし、渋谷駅から、こうした方面への「近道」「抜け道」としても通行量が増大していき、東京都産業労働局の調査によると、10時から22時までの12時間の通行量は約11万人強を誇っている。通行量増大の陰で、人足が遠ざかった時期もあった。1991年、渋谷にチーマーが登場。彼らは、集団の力を借りて、中高年の通行者を襲ったり、発売されたばかりの「エアーマックス」を強奪するなど、行動をエスカレートさせ、ついには「オヤジ狩り」という見出しが新聞の紙面を飾った。ガーディアン・エンジェルスのニューヨーク本部長を務めた初の日本人=小田啓二氏が帰国後、日本ガーディアン・エンジェルスの東京支部を開設し、センター街を中心に渋谷のパトロールを始めたのは1996年のことだった。日本ガーディアン・エンジェルスは3月20日から4月8日までの春休み期間中、渋谷で「NO! DRUG」キャンペーン実施しており、オリジナルフライヤーをセンター街周辺で配布し、薬物乱用防止を訴えている。
日本ガーディアン・エンジェルス渋谷センター街入り口付近にはシルバーアクセサリーや革小物など6店舗で構成される「シブヤ・エンゼルハート」がある。このコーナーは道玄坂にも面した渋谷西村ビルの1階でもある。店のスタッフは「最近、センター街の吸い殻が減ってきれいになった」と言う。渋谷センター街商店街振興組合では、組合員が1日数回、センター街を巡回して清掃を行っている。同組合では「自分の間口の前は自分で守る」という原則が徹底されているという。
渋谷センター街(でじたる渋谷)渋谷センター街には他の商店街では見られない独自の雰囲気が漂う。最近では「ヤマンバ」が復活の兆しを見せている。1998年、突如、渋谷に登場し、様々なメディアで取り上げられたガングロ。髪は茶髪あるいは白髪で、顔面は真っ黒。原色の衣服にミニスカート姿で、厚底ブーツまたはサンダルを履き、日焼けサロンで焼き上げた顔の黒さが異様に目立つことから、顔黒(ガングロ)と命名された。目と口のまわりを白く隈取りしたような特殊なメイクで特異性を放った彼女たちこそが第1期「ヤマンバ」ギャルだった。國學院大学文学部の倉石教授によると、ヤマンバはその後、2000年夏頃に「アマゾネス」へと発展を遂げるが、その攻撃性が受け入れられず一気に衰退へと向かったという。
検証!「ヤマンバ」の登場と衰退(シブヤ経済新聞記事)メイクのトレンドも、その後一気に「美白」へとシフトし、ガングロ文化が消滅したかに見えた。ところが、「ソニープラザ渋谷109店」では、「ALABA ROSA」のコスメブランド「anuenue(アヌエヌエ)」(ソニーCPラボラトリーズ)の最も濃い色の「703ブロンズパール」のフェイスパウダーは頻繁に品切れを起こす同店のヒット商品。同品は今や「ガングロ系」のマストアイテムになっており、こうした事実は一定数のガングロ派が確実に生息していることを物語っていた。
anuenueそんなヤマンバが、この冬あたりから復活を遂げている。ガングロメイクの女性達がセンター街で目立ち始めた。ただし、呼称は「ヤ」が取れて「マンバ」と呼ばれる。渋谷系ファッション誌「エゴ・システム」の長崎さんは呼称について「ヤマンバの進化系」だという。第1期との違いは、例えば、シミになるのを恐れて、日焼けせずにメイクで顔を黒くしたり、危ないので「厚底ブーツ」ではなくサンダルを履くなど、その仕様は変化を来している。「マンバ」増殖の背景についてアイ・エヌ・ジーの中山さんは「センター街などで雑誌などの撮影が多く、これに参加したい女性が増えた、さらに、センター街中央付近に集まるサークルのようなものに入りたいという願望もあるのでは」と話す。さらに渋谷センター街の人気について「センター街に行けばどこかに友達がいるから、会おうと思えば誰かと会える人間関係が、ここで形成されている点が大きい」(中山さん)と、コミュニケーションの場としての人気を理由に挙げる。
リイド社(エゴ・システム) アイ・エヌ・ジーさらに今、渋谷センター街で大きくクローズアップされているのが「センターGUY」の存在。彼らの髪は茶髪か金髪で、顔はガングロ、唇に白のリップを引いている。さらに、目の回りにワンポイントシールを貼り、服装は「マンバ」御用達のブランドでハイビスカス柄の「アルバローザ」で身を固め、さらに原色または蛍光色のパンツできめるといった風貌。つまり、一昔前の「ギャル男」の進化系ともいえる。その存在は、昨夏あたりから確認されていたが、昨年8月発売の「men's egg」に記事が掲載され、1月の撮影後、同誌2月14日発売号(3月号)で紹介されたことを受け、一部のメディアがこれを社会現象として報道したことにより、彼らの存在が広く知られるようになった。
とにかく「目立つことが大好き」という彼らにも、その奇抜なファッション故に、行動を制限する包囲網が忍び寄る。アルバローザの店では試着が禁止されたほか、円山町のクラブ「atom」でも、センターGUYとマンバの出入りが禁止された。それでも彼らは「目立つことで友達が増える」ことが一番楽しいという。首都圏各地から集まる若者にとって、渋谷で友達を増やすのは意外と難しいのだろうか。マンバやセンターGUYは、「アルバローザ」という共通の「アイコン」で身を包み、ハレの舞台となる渋谷センター街を闊歩することで、互いに声をかけやすい状況を生み出し、コミュニケーションを拡大している。逆に、アイコンがないと声を掛けづらいというシャイな一面も覗かせる。ちなみに3月14日発売の「Men's egg」4月号では、こうしたセンターGUYがさらに進化すると「カブキGUY」になると記されている。
地元商店会の努力などにより、美化整備は進む一方、不法滞在の外国人らによる違法薬物売買など、センター街周辺の刑法犯認知件数は都内平均を大きく上回る。(昨年の刑法犯の発生認知件数は都内平均で1平方キロメートルあたり約134件に対し、宇田川町は67倍の8,918件)警視庁は宇田川町の渋谷センター街周辺約170平方メートルに、防犯用の監視カメラ10台を設置し、今月22日から運用を開始した。カメラは周囲360度の撮影が可能なドーム形のカメラで、24日には池袋駅西口地区でも20台の運用が始まった。設置費用は2地区計約1億4,000万円で、都が負担した。渋谷センター街に設置されたカメラの画像は、警視庁渋谷署で24時間監視を行う。
渋谷区では、昨夏起きた赤坂・児童監禁事件の発端となったことを受けて、区長直轄のもとで組織整備を行い、2月1日から安全対策の専管組織として「安全対策本部」を設置、本部長には警視庁から専門官が派遣された。同本部長の佐戸さんは「渋谷は若者が多く、犯罪に巻き込まれる可能性が高いのが特徴」だという。そこで、今月からセンター街を中心に渋谷駅周辺でも警備員への委託による安全パトロールが始まった。安全パトロールは、若者に対する悪質なキャッチセールスやスカウト、外国人による薬物の販売等の監視を行い、その抑止効果を狙う。また、警視庁の動きに合わせ、渋谷区でも独自に道玄坂に2台、神南に1台、独自の防犯カメラを設置、近日中に運用を開始する予定だ。さらに、渋谷区11地区で安全対策協議会を発足させ、自主安全パトロールなど、地域連携の取り組みの強化を図る。
コギャル、ルーズソックス、ガングロ、ヤマンバ・・・渋谷センター街は、まさに渋谷の情報発信源であった。取材や撮影の場になることも多く、日本一メディア露出の多い商店街なのかもしれない。しかし一方で、その情報発信力の高さ故に、修学旅行を含め全国から若者が集うメッカとなり、確率的に若者が犯罪に巻き込まれる可能性が高いゾーンであることもまた事実。一時の危険なイメージはかなり払拭され、地元商工会の美化活動の成果により「最近のセンター街はきれいになった」と話す人が多い。そこに監視カメラが加わることで、センター街の安全性がさらに向上する。
今後、渋谷駅周辺では、東急文化会館跡地の建て替えや地下鉄13号線の開通、東急渋谷駅跡地の再開発など、ハチ公口と駅をはさんで対角線上にある東口の再開発が本格化する。チェーン店やFC店が多い渋谷センター街でも、こうした環境の変化を背景に、将来を見据えた差別化・個性化も必要とされる。他の商店街にはない独自の非日常性は今後、どのような進化を遂げていくのだろうか。