ハチ公「最期」の写真初公開-渋谷区郷土博物館・文学館

冷たくなったハチ公に手を合わせる亡き上野博士の八重子夫人、渋谷駅長、ハチ公の世話係だった駅員ら

冷たくなったハチ公に手を合わせる亡き上野博士の八重子夫人、渋谷駅長、ハチ公の世話係だった駅員ら

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 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館(渋谷区東4、TEL 03-3486-2791)で現在、ハチ公「最期」の写真を含む企画展「新収資料展」が開かれている。昨年度に新たに同館が収蔵した品々を公開している。

ハチ公最期の写真と共に初公開された上野英三郎博士邸での写真

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 ハチ公関連では、ハチ公最期の写真とハチ公を飼っていた上野英三郎博士邸で写された写真の2点が初めて公開された。

 ハチ公は雄の秋田犬で、1923(大正12)年11月、秋田県大館市内で生まれた。その後、純系の日本犬を探していた東京帝国大学農学部教授・上野博士に生後50日前後でもらわれ、「ハチ」と名付けられた。上野博士の家は、現在の東急本店裏手付近にあった。

 やがてハチ公は立派な秋田犬に成長し、渋谷駅まで上野博士の送り迎えをするようになったが、ハチが1歳のとき、上野博士が急逝。博士の没後、富ヶ谷に住んでいた上野博士宅に出入りしていた植木職人に預けられ、ここから渋谷駅に向かうようになった。

 1932(昭和7)年10月14日付けの朝日新聞朝刊で、「いとしや老犬物語、今は世になき主人の帰りを待ちかねる七年間」という記事が掲載されたのを契機に、ハチ公は一躍、全国的に注目を集めるようになった。銅像製作の機運が高まり、寄付金などにより完成。1934(昭和9)年4月21日に行われた除幕式にはハチ公も参加した。

 翌1935(昭和10)年3月8日、ハチ公は渋谷川に架かる稲荷(いなり)橋付近で倒れ、11歳4カ月の一生を終えた。公開された写真は、冷たくなったハチ公に手を合わせる亡き上野博士の八重子夫人、渋谷駅長、ハチ公の世話係だった駅員らが写っている。写真は世話係だった駅員の娘が寄贈したもの。ハチ公が死んだ翌日、当時の日刊紙「やまと新聞」にも同じカットの写真が掲載されていることが後に判明した。同館学芸員の松井圭太さんは「やまと新聞の記者が、写真に写り込んでいる人たちに、記念として写真をあげたのでは」と推察する。

 ハチ公の死体はすぐに東京科学博物館(現国立科学博物館)ではく製にされ、現在も同館で保管されている。はく製にする際、同館技官が採取し、後に「ハチ公文献集」などをまとめた林正春氏に譲渡されたハチ公頸部(けいぶ)の体毛も併せて公開している。

 新たに公開されたもう1枚の写真は、ハチ公が育った上野博士邸で撮られた写真で、当時、女中として住み込みで働いていた女性の孫から寄贈されたもの。

 開館時間は13時~17時(入館は16時30分まで)。入館料は、一般=100円、小中学生=50円ほか。月曜休館。7月22日まで。

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