設置から45年間、待ち合わせスポットの一つとして親しまれてきた渋谷駅西口の石像「モヤイ像」が国道246号線沿いに移設され、1月22日朝、公開された。
モヤイ像は昨年11月、クレーンでつり上げるなど深夜から未明にかけての作業も含め、2日間かけて移動。土地区画整理事業に伴う大規模な再開発工事が続く渋谷駅周辺では、旧「東急百貨店東横店」西館・南館の解体作業が進んでおり、像が立っていた場所が工事の対象になったタイミングで移設が決まった。
移設先は、西口ロータリーを挟んで直線距離で約200メートル離れた246沿い。渋谷フクラス(渋谷区道玄坂1)西側の広場の一角に、モヤイ像「発祥の地」となる新島の方角を向く形で設置。周りは植栽や柵で囲んだ。11月の移設完了から約2カ月、ブルーシートをかぶせられた状態で除幕の時を待っていた。
晴天の下で行われた除幕セレモニーには、長谷部健渋谷区長や、モヤイ像発祥の地である新島村の大沼弘一村長らが出席。像を覆う白い幕を一斉に引き、朝日を浴びた精悍(せいかん)な「顔」があらわになった。渋谷区出身の長谷部区長は「ハチ公像と並ぶ待ち合わせの名所で、地元のわれわれも、いつも混んでいるハチ公前ではなくモヤイ像の前を使ってきた。愛着がある」と思いを明かし、「駅の整備の関係で今後どうなるかはまだ決まっていないが、また皆さんと考えていければ。愛される場所になってほしい」と期待を込める。
大沼村長は、1980(昭和55)年に新島の東京都移管100年を記念し、同島のPRを主な目的として当時の観光協会が企画し像が制作された経緯を振り返りつつ、「半世紀にわたり多くの方に利用いただいた。私たち島民にとっても、都会の中心で全国的に有名になってくれたことを誇りに思う」とあいさつ。「もやい」は、島の方言で「助け合う・協力し合うという、『絆』にも近い表現。大切にしている精神、文化で、コミュニティーの源」とも話し、「この『もやい』の精神が今の時代には必要。新たな場所で渋谷を訪れる多くの方に愛される存在であり続けてもらえば」と願いを込めた。
移管100周年事業の際に新島村観光協会の理事を務め、渋谷駅前の現場で「コーガ石」を削り、同像を完成させた彫刻家、故大後友市さんの親族も出席。大後さんの孫で、「MOYAI TUBE」と名付けたユーチューブチャンネルなどを通じて島のPR活動なども行っている植松創さんは「学生時代から『渋谷のモヤイ像はおじいちゃんが作ったんだよ』と話すと大体仲良くなれる」と、モヤイ像の存在が自身の「名刺代わり」のようになっていると言う。移設後の姿については、「前はもう少し悲しそうな顔だった。移設されて、顔が晴れやかになったような、シュッとりりしい顔になった」と喜んだ。