東急プラザ渋谷(渋谷区道玄坂1)が3月22日、道玄坂エリア一帯の再開発に伴い閉館した。
1965(昭和40)年6月13日に複合ビル「渋谷東急ビル」として開業した同館。1973(昭和48)年に「渋谷東急プラザ」に、2012年に現在の「東急プラザ 渋谷」に、それぞれ名称を変更した。開業当時から営業する紀伊國屋書店やロシア料理店「渋谷ロゴスキー」をはじめ、生鮮食品売り場「丸鮮渋谷市場」、40代以上の女性向けのアパレルショップなど約90店が営業していた。
最終営業日となったこの日は普段より多くの人が来館し16時の段階で2万人を超えた。スマートフォンやカメラなどで館内外を撮影する人や、いくつもの買い物袋を手にした人たちの姿などが絶えなかった。渋谷区在住の二宮彬さん・千枝子さん夫婦は娘と孫の4人で来館。地下1階「丸鮮渋谷市場」を中心に日頃から利用していたという。「残念、寂しい」と言い、今後は「(東横)のれん街とかに行くかな」と話していた。
同館開業時から営業していたロシア料理店「渋谷ロゴスキー」のピロシキを土産にしていたのは世田谷在住の大倉さん(63)。大学卒業後の初月給で「ご褒美」として訪れたのが同店だったという。2時間30分ほど並び、思い出の味である「きのこと鶏肉のつぼ焼き」を食べ、「変わらないおいしさで、スタッフの方々も優しかった」とほほ笑む。同店は移転し営業を続ける予定で、「(移転後は)孫でも連れて行きたい」と期待を寄せた。
この日は通常営業時間より2時間繰り上げ18時に閉館。現在の総支配人・森下潤一さんをはじめ、同施設を運営する東急不動産SCマネジメント社長の土屋光夫さん(総支配人歴任年代1996年~2003年)、土屋暢誉(のぶたか)さん(2009年、2012年・2013年)、小峰政則さん(2006年~2008年)、雨宮浩太郎さん(2011年)の歴代の総支配人も来館し、1階エントランスで最後の来館客を見送った。来館者からは「お疲れさま」「ありがとう」などの声が掛けられ、森下さんは「胸が熱くなった」と話す。
土屋さんは「(総支配人退任以降も)お客さまやテナントの方々とつながりがあり、縁を感じるウエットな商業施設だった」と振り返り、「当館から30分圏内にお住まいの方が非常に多い、都心部では珍しく地域に根差した商業施設だった」ことから「地域のお客さまに対して存在感のあること、必要であることは何かを考えてきた」と話す。閉館を迎え「お客さまだけでなく、テナントオーナーの方や従業員の方々など全ての方へ『感謝』の一言しかない。寂しい思いはあるが、ここが終わりではなく始まり」と期待を込めた。
閉館後に開かれたセレモニーで、「こんなに多くの方にお見送りいただきありがとうございました」と森下さん。近くの歩道橋の上まで人だかりができるほど多くの人が集まった。森下さんは「閉館が決まってから1年間で印象に残っているのは、お客さまからの約2500通にも上る心のこもったメッセージ。皆さまの人生の中で大きな役割を果たしていたのだとあらためて実感した」とし、「1965年から現在までの50年の間に、いろいろなことが起こったが、大きな時代の移り変わりの中にもいつまでも変わらない、皆さまが当館を愛していただく気持ちで、この地で50年も営業を付けることができた」と感謝の言葉を述べた。
「終わりは新しい時代の幕開けでもある。当館を含むこのエリアは再開発で新たなる玄関口として生まれ変わる。これからの渋谷の未来にご期待ください」と呼び掛け、同館のシンボル「ムラサキツユクサ」にちなんだ紫色のテープが祝砲として打ち上げられた。拍手に包まれる中、再開発後の建物のイメージ図などをデザインした幕が下ろされた。最終営業日の総来館客数は約3万人だった。
同館は4月に建物の解体に着工予定。同館跡には、周辺エリアを含め渋谷駅周辺で進む再開発の一環「道玄坂一丁目駅前地区第一種市街地再開発事業」として、地下4階~地上18階建ての施設を建設することが決まっている。1階の一部には、空港リムジンバス発着場を含むバスターミナルを設け、中低層部には商業施設を配置するほか、クリエーティブコンテンツ産業や外国系企業などの進出支援施設、国内外の来街者を対処とした観光支援施設なども予定している。2018年度開業予定。