ゴスロリにサロンボーイ系−原宿の「今」を映し出すファッション集積空間の今
■ 原宿ファッション玉手箱!?−「10日間」連続ファッションショー
ホールいっぱいに詰めかけた観客を前に、秋冬の新作を身にまとったモデルがさっそうとランウェイを闊歩(かっぽ)する——同館6階ラフォーレミュージアムでは8月中旬から下旬にかけて、館始まって以来の大規模ファッションショー「MAGAZINE FASHION WEEK LAFORET(MFW)」を開いている。
ランウェイには日替わりでさまざまな顔ぶれの人気モデルが登場、ショーに携わるスタッフや演出も異なれば、観客のテイストも異なる、多彩にして「オンリーワン」の一大ファッションショー企画だ。開館30周年を記念し、ジャンルや読者の異なる人気ファッション誌10誌が集まった。
同館原宿運営室業務グループの安藤正志・上席主事は「ほかの商業施設ではなかなか考えられない企画。ラフォーレ自体がいろいろなカテゴリー、テイストのブランド、フロア分けになっているから実現できた企画」と胸をはる。ショーでは、各誌が1日ごとに、それぞれの媒体特性に合わせたトークショーやライブなどの独自企画を盛り込み、館内の総勢約130ブランドとコラボレーション。
オープニングを飾った人気誌「Sweet」のショーでは、トレンドのチェック柄ワンピースやロック調のアイテムなど、若い女性の「リアルクローズ」が次々と登場。一方、同じレディスファッションでも、ストリートスナップ誌「KERA」のショーでは、大きなリボンやふんわりと広がったスカートで「甘さ」全開のロリータスタイルといった、原宿ストリートの「先端」ファッションが満載。メンズ誌が提案するのは、サロンボーイ系などに支持されるキレイめでユニセックスなスタイルと、今の「ラフォーレ」を象徴するスタイルが次々と登場する。
モデルや演出も異なれば、各会場に訪れる客層もさまざま。ショーでは秋冬の新着商品に熱心に見入る男性客の姿も目立つ。「1つのテイスト、カテゴリーや性別、年齢層などではくくれない」(同館主事の安藤さん)さまざまなブランドが集積するラフォーレの「ほぼすべて」(同)にあたるブランドが参加したショーで見えてくるのは、多様化するファッション、メンズの台頭、ますます個性に磨きをかけるキッズたち、と今の「原宿ファッション」そのものともいえる。
ラフォーレ原宿「10日間連続」ファッションショー、30周年記念で(シブヤ経済新聞)
■ 「ユニセックス」化が加速−テイスト別フロアの「独自性」
「ハイエンドなインポートを扱うフロアなら、同じようなテイストでレディスの隣にはメンズ、というようにゾーン分けしている」(安藤さん)。同館がほかのファッションビルと異なるのは、メンズが勢いを増す中でも「メンズ専門の集積フロアを作らない」(同)こと。性別でゾーン分けしないのは、路面店を含めた原宿エリアの特性でもありラフォーレ自体の特性でもある顧客層の「ユニセックス」な買い物の行動に要因がある。
ラフォーレ原宿では現在、男女の構成比が来館者調査で75対25のところ、商品構成がレディス6割、メンズ4割と男性客の比率に対しメンズ商品の割合が多い商品展開を行っている。男女関係なく気に入ったものがあれば着る、というファッション好きならではの「どん欲」さが定着している証拠ともいえる。
メンズを強化し始めた2005年に始まった「メンズファッションショー」では、館内のハイエンドなセレクトショップや国内メンズブランドなどがファッションウィーク顔負けの本格的なランウェイショーを披露。新作をひと目見ようと集まる顧客にも好評で、その後も数シーズンにわたり定着化。全国規模でメンズの勢いが増す中、ほかのビルにはない独自の打ち出しで「感度」の高い客層を取り込む動きにも余念がない。
ネットの普及などで情報化が進んだ今、足を踏み入れて探す「何か」ではなく、ブログやSNSなどの口コミを見て「特定」の商品を購入していくアクティブな客層も増え、館内の買い回りも時代とともに変わりつつある。「(同館の)一部のフロアと原宿・表参道周辺の路面店をセットで考える」(同)回遊も目立ち、多様化するファッションとともに周辺路面店との「共存」関係も変化しているようだ。
ラフォーレ原宿、メンズ強化の一環でファッションショー(シブヤ経済新聞) ラフォーレ原宿で秋冬新作のメンズファッションショー(シブヤ経済新聞)
「竹の子族」が発祥?−原宿ファッションの変遷とともに進化するラフォーレ30年史
■ 「オンリーワン」ブランドの誘致で時代を牽引−早分かりファッション史
カジュアルブランドやビームスなどのセレクトショップがひしめく明治通り、ルイ・ヴィトン、シャネルなどをはじめとする高級ブティックが立ち並ぶ表参道、裏道に古着店や独立系店舗などの個性的な店が点在するキャットストリートや裏原宿と、原宿周辺を取り巻くファッション事情は今や複雑化の一途をたどる。
当時は目立った商業施設もなく、全国的には「明治神宮の街」としての印象も強かった原宿の街に誕生して以来、30年にわたり街の変化を見届けてきたラフォーレ原宿の変遷は、そのまま原宿エリアがたどってきたファッションの歴史とも重なる。数々のブームの「仕掛人」にもなってきた同館の歴史をひもとくと、常に時代のニーズを先読みし、ほかにはない「オンリーワン」を求めてきた独自の姿勢が見てとれる。開業から現在に至るまで「先端」ファッションにこだわり続けてきた同館の歴史を振り返る。
明治通りと表参道が交差する一角にラフォーレ原宿が開業したのは、1978年10月28日。オフィスビルを中心に展開してきた森ビルが、ビルの低層階で運営する飲食店や物販店舗などの「商業」区画に対する需要の高まりや、将来の都市開発に向けたノウハウ蓄積などを目的に、同社初の商業施設として開発した。
フランス語で「森(ラ・フォーレ)」を意味する原宿エリアにとっても初の大型商業施設となった同館は、「ホコ天」を中心とした原宿ストリートブームや翌79年ごろから始まった「竹の子族」ブームで注目が集まり始めていた原宿の変化とともに、最先端の「情報発信基地」へと成長していく。
隣接する渋谷エリアでは1973年に「渋谷パルコ」が開業し、既存百貨店などとは異なる「カルチャー発信型」のファッションビルとして先を行く中、ラフォーレ原宿が打ち出したテーマは「ファッション=時代を表現するカルチャー全般」。開業1年目こそ苦戦したものの、当時森ビルで手腕をふるった佐藤勝久館長の提案で、原宿周辺のマンションの1室で服を作り「マンションメーカー」として頭角を現し始めていた国内の独立系ブランドを積極的に導入、この動きに端を発し、その後もラフォーレは独自のブランド誘致を進めていくことになる。
コムサデモード、メンズビギなどに代表される「DCブランド」ブームに続き、1987年には初の自主編集ショップ「ハイパーオンハイパー」を開業、DCブランドよりも値ごろ感がありスタイリングにも取り入れやすい無名ブランドを積極的に導入し、同店での取り扱いから人気ブランドに成長した「チャイルドウーマン」や、「ナイスクラップ」「オゾック」などの「平成ブランド」を世に送り出すきっかけにもなった。
90年代後半に入りバブル崩壊で他社の商業施設が苦戦する中、その真逆を行くようにラフォーレは売り上げを伸ばし続ける。「ボディコン」「渋カジ」などのブームが起こる中、前面に打ち出した平成ブランドは「ピュアヤング」という流行語も生み、高校生の修学旅行先で東京ディズニーランドと並ぶ観光名所となるほど、突出したポジションを確立していく。
各ブームに共通するのは、今でこそ名が知られているブランドでも、当時はまだ「希少性」の高い未開拓のブランドだった点。平成ブランドブームが一段落した2001年には、東京を拠点に活動する気鋭の建築デザイン事務所「クライン・ダイサム・アーキテクツ」に設計を依頼し、ハードのリニューアルを含めた大規模なリニューアルに踏み切る。
改装では、平成ブランドの導入で客層が低年齢化していたこともあり、よりファッション性の高いブランドを誘致。DCブランドブームから続く「ファッション感度」の高い客層に訴求できる、原宿エリアならではの特性を生かした店作りを継承している。
■ ファッションとカルチャーの切り離せない関係−ラフォーレ「アート」史
先端スタイルを貫いてきたファッション軸の一方で、1982年にオープンした「ラフォーレミュージアム」の存在にも象徴される「文化」面での革新的なコンテンツの発信は、消費者だけでなくクリエーターにも「刺激」を与え続けてきた。
とりわけ注目を集めてきたのが、シーズンの立ち上がりやセールなどのイベントごとに発表されてきた「ポスター」ビジュアルだ。80年代には、資生堂でグラフィックデザインを手掛け同社広報誌「花椿」のアートディレクターも務めた村瀬秀明さんらが次々と斬新なビジュアルを発表。
中でも、90年代初頭から多くのビジュアルを手掛けることになるアートディレクター大貫卓也さんが残した功績は大きい。大貫さんは同館20周年記念冊子「Laforet 20th Anniversary」(1998年発行)の中で「ラフォーレは面白ければ何でもやらせてくれる。(中略)それがラフォーレの活力の源であり、ほかのファッションビルとは全然違うところだと思う」と語り、その革新性を評価する。
大貫さんらしいシンプルで型破りなキャンペーンビジュアルは、広告界にも大きな影響を与えたほか、消費者に対し同館の先端的なイメージを植え付けるきっかけにもなった。斬新な企画では直営ミュージアム「ラフォーレミュージアム原宿」のコンテンツも負けていない。
新進の海外女性アーティスト4人よるパフォーマンスシリーズ「NEXT WAVE OF AMERICAN WOMEN」(1984年)や、アンビエントミュージック(環境音楽)の先駆者ブライアン・イーノさんのビデオアート展、横尾忠則さんが前衛的な試みに挑戦した数々の企画展など、国内外、展示形態を含め興味を引きつける企画が満載だ。
同館のこうした取り組みは、現在森ビルグループでラフォーレ以外のイベント、アート展なども含む企画・運営を手掛ける「LAPNET(ラップネット、Laforet Art and Planning Network)」(本社=港区)のノウハウにもつながっている。ラップネットは現在、同館裏手の路面でアートスペース「ラップネットシップ」(2006年、フォレット原宿の閉店に伴い移転)を運営、イラストレーター安斎肇さんの企画展や若手女性クリエーターらによるグループ展など、大ホールでは実現しにくい小規模なイベントも開催している。
企画展をはじめ、演劇、ライブなど形式を問わず「時代」を切り取ってきたラフォーレ流のカルチャー発信が、館全体を活気づける役割を果たしている。
ブライアン・イーノさんが音楽映像インスタレーション展(シブヤ経済新聞) 原宿で自動からくり人形師「ムットーニ」新作展(シブヤ経済新聞) 篠山紀信さんが「新次元」ヌード写真展−ラフォーレ原宿で(シブヤ経済新聞) ラフォーレ原宿が独自ライブ企画−国内気鋭ミュージシャン集め(シブヤ経済新聞) バンクシーら「UKストリートアート」最前線を紹介−原宿で企画展(シブヤ経済新聞)
受け継がれる「インキュベーション」精神−進化するラフォーレの「底力」
■ 直営店「サイド・バイ・サイド」で原点回帰へ−大規模改装に着手
ファッションやカルチャーに関わらず、ラフォーレ原宿がアイデンティティーとして保ち続けてきたのが、常に「新しいもの」を発掘しようとする「インキュベーション精神」。すでに人気のブランドを誘致するよりリスクは伴うが、「原宿系」としてこれまで世に送り出してきたブランドの顔ぶれを見れば、リスクをいとわず希少ブランドに賭け続ける姿勢にもうなずける。
2004年、ラフォーレ原宿2.5階にロンドンの最先端ファッションを詰め込んだセレクトショップ「Side by Side(サイド・バイ・サイド)」がオープンした。店のクリエーティブディレクターを務めたのは、英「デイズド&コンフューズド」誌のファッションエディターでスタイリストとしても世界的に活躍していたニコラ・フォルミケッティさん。ラフォーレの直営店としてオープンした同店では、当時まだ日本では知られていなかったロンドンを中心とした若手デザイナーの服を積極的に紹介。感度の高い客層がいち早く飛び付いた。
ロンドン市内でも若者が集まる市街地、オックスフォード・サーカスに本店を構える大手アパレルメーカー「トップショップ」のメンズライン「トップマン」のコンサルタントをフォルミケッティさんが手掛けていた縁で、2006年2月にはショップ内でトップマンの取り扱いを開始。同年9月には同店からの「スピンオフ」としてレディスラインも合わせた日本初のショップ「トップショップ/トップマン」が始動することになり、ラフォーレのインキュベーション精神がここでも機能したかたちだ。
ラフォーレ原宿、初上陸ブランドを多く揃えた直営店(シブヤ経済新聞) 原宿でU.K.発「TOPSHOP」のメンズラインを国内初展開(シブヤ経済新聞) ケイト・モスさんとトッショップの協業ラインが発売−200人行列(シブヤ経済新聞)
■ メンズや国内ブランドを強化−「クリエーティブなコト、モノ」発信へ
サイド・バイ・サイド周辺の動きと前後して同館では、テナントの大規模改変にも着手。2006年の秋冬シーズンには全44区画をリニューアル、トップショップ/トップマンをはじめ、国内の若手デザイナーズやメンズブランド、人気スタイリストがディレクションするセレクトショップなど「クリエーティブなコトやモノ」をテーマにラフォーレらしい「とがった」ショップを一斉にオープンした。
大規模改装とともに、同館1階エントランス横には新進ブランドが期間限定で店を出せる専用ブースを開設。共に今秋ラフォーレ原宿内に初進出する、DJ、プロデューサーでスニーカーコレクターとしても知られるhobby:techさんが代表を務めるTシャツプロジェクト連動型ショップ「QUOLOMO(コロモ)」や、気鋭デザイナー梶谷好孝さんが手掛けるジュエリーブランド「YOSHiKO☆CREATiON PARiS(ヨシコ・クリエーション・パリ)」も、このブースへの出店をきっかけに「本進出」を果たしたブランドだ。
ファッションそのものの多様化に加え、手に取りやすいカジュアル嗜好への転換や若手ブランドの路面店への流出などで「個性」の打ち出しも容易ではなくなってきた中で、日本初上陸のブランドを集積したセレクトショップや新進のメンズブランドを呼び寄せた改装は、今後ラフォーレ独自の方向性を見出していく上で大きな伏線となったと言えそうだ。
ラフォーレ原宿が大型リニューアル、全44区画を刷新へ(シブヤ経済新聞)ほしのあきさんのグラビア全面に−ラフォーレ原宿に「KIKS TYO」限定店(シブヤ経済新聞)原宿に「ソーマデザイン」期間限定店−JFW関連企画で(シブヤ経済新聞)東コレ・メンズブランド「ウェアラバウツ」が期間限定店(シブヤ経済新聞)女性2人のアパレルブランド「ナデシコ」初の限定ショップ(シブヤ経済新聞)
■ ショップ循環で保つ「先端性」−ラフォーレ独自の「卒業」システム
こうした改装の裏で、館内から姿を消していくショップもある。2000年代に入り新生ラフォーレに向けて一石を投じたサイド・バイ・サイドも、この7月で「卒業」を迎えた。安藤さんは「ひとつの役割を終えたということ。10年後にはラフォーレをきっかけに人気が出たブランド(の店)がそこら中にある、という時代が来るかもしれない。そのときにはラフォーレ館内ではきっと違うことをしている」とラフォーレならではの「一歩先行く」卒業システムについて説明する。
「渋谷などのターミナルステーションではない『原宿』というエリアで勝負していく意味がそこにある。ファッションだけでなく音楽などのカルチャーにも同じことがいえる」(同)。これまでにも同館のCM楽曲やBGMなどを制作、30周年の記念サウンドも手掛けたサウンドクリエーティブ・ユニット「Q-INDIVI」も、ラフォーレをきっかけにブレイクする日が近いかもしれない。
ラフォーレ原宿で「スペースインベーダー」コラボイベント−30周年で(シブヤ経済新聞)ラフォーレ原宿、アヴリル・ラヴィーンさんとコラボ−30周年記念で(シブヤ経済新聞)
ゴスロリなどの個性派ファッションを筆頭に、「ハラジュク」文化の発信は、今や国内だけでなく海外にも広まりつつある。ラフォーレ原宿は昨年、今年と2年連続でパリの日本カルチャー見本市「ジャパン・エキスポ」に出展。パリでの日本ブームの影響もあり、参加2年目の今年は特に大きな歓声が起きたという。
安藤さんは「こうした海外からの注目も発信側にとって大きなモチベーションとなり、館全体の活気につながっていく」とみている。副都心線の開業で、都内近郊からの来街者が増えていることについては「必ずしも売り上げに直接つながっているわけではない。(副都心線の駅名)『明治神宮前駅』=原宿という認知が広がれば期待できる」(同)とも。
ラフォーレ原宿の並び、旧フォレット跡地には今年11月、欧州アパレル大手の「H&M」が銀座店に続く大型店の出店を控える。原宿エリアでは現在、海外SPAの代表格「GAP」を筆頭に、スペイン発「ザラ」などの競合が集積、ラフォーレ原宿内の「トップショップ/トップマン」も10月に同館最大の売り場面積となる約3倍の増床を予定しており、トレンドを取り入れた値ごろ感のあるアイテムでブームが予測される「ファストファッション」商戦にも注目が集まる。
(参考文献=ラフォーレ原宿20周年記念冊子「Laforet 20th Anniversary」、川島蓉子著「TOKYOファッションビル」日本経済新聞出版社刊)
「ラフォーレ原宿」がパリで大規模ファッションショー、観客1万人(シブヤ経済新聞)
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